31 右肩上がりの「経済水準」と「対日感情」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2010年.6月号 アフリカ最前線

南アフリカ特別編3

 南アフリカ(南ア)には、南アフリカ航空や、ダイヤモンド産業のトップであるデビアス等、世界的に有名な大企業が多く、大きなビジネスの取引も盛んに行われています。
 近年、拡大しているのが自動車産業。南アは、道路網の発達や国内の中産階級の成長、近年の国内経済成長等を背景に、自動車需要が非常に伸びています。日本企業も、トヨタ自動車や日産自動車等が、進出しています。
 また、アフリカ諸国では、ボロボロの自動車が街中を走っている国が多い中、南アでは新車が数多く走っています。中型セダンの需要が一番多いですが、アフリカのサバンナを走るための四輪駆動車や、富裕層向けの高級車も人気があります。
日本車は大人気で、2007年時点でトヨタは、南ア自動車販売市場の22・6%のシェアを占め、1980年以来、二十八年連続シェアナンバーワンを維持しています。トヨタ子会社の南アフリカトヨタは、南アのダーバンで工場を操業、約一万人の地元従業員を雇用しており、「ダーバンといえばトヨタ」といわれるほど、地元に根づいた企業となっています。先日の「トヨタリコール問題」に関して、南アの知人は、「トヨタがいじめられた、という印象。日本車に対する信頼は変わらない」といっていました。
 日本企業以外にも、BMW、フォルクスワーゲン、フォードといった、世界の主要自動車メーカーが工場を経営しています。南アで製造された自動車や自動車関連の部品等は、国内だけではなく、世界中に輸出されています。2006年の自動車関連産業の南ア国内生産額は約200億ドルで、GDP(国内総生産)における比率は七・五%と、製造業で最大の分野でした。
 また、雇用の面でも、販売・サービスを含む自動車関連産業の就業者数は三十万人に達し、民間製造部門の25%を占めています。このように、各国の自動車メーカーの南ア進出により、自動車製造の専門技術が広まり、雇用機会を創出しています。南ア政府は、経済の担い手として、大きな期待をしています。
 南ア国民の収入格差は、依然大きいままですが、中間層の経済水準が上がってきています。そのため、車や家電等の需要が、まだまだ増えていくと思います。日本企業も、どんどん南アに進出するべきだと思います。
 私は、これから南アで成功する業種は、ホテル経営だと思います。日本人のサービス精神は世界でもトップクラス。南アのホテルのサービスもよくなってきてはいますが、日本人の繊細さには、まだかないません。また、日本人観光客も増えているので、日本人スタッフのいる、日系のホテルは需要があると思います。
 また、建設業も上手くいく可能性が高いと思います。今回、サッカー・ワールドカップ(W杯)のための道路工事等のインフラ整備で、一部、W杯開催に間に合わないことが判明しました。主に中国の請け負い工事ですが、彼らは平気で完成を遅らせるので、政府もあきれています。南アの近隣諸国でも、同様のことが起こっています。その点、日本企業は工期をしっかり守り、品質も高い。こうした日本企業の優位性は、アフリカ諸国の注目を集めると思います。
 先日、在南アの日本政府関係者とお話しした際、「日本企業はもっとやれるはずですが、ハングリー精神が足りないのでは、と感じます。仕事の質は高いので、もっと成果を上げられると思います」と、仰っていました。

「アフリカ最前線」は今回で最終回です。 ご愛好頂き、ありがとうございました。次号から、各国駐日大使とムルアカ氏の対談を新連載します。


30 800億円をかけて再生した「空港」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2010年.5月号 アフリカ最前線

南アフリカ特別編2

サッカー・ワールドカップ(W杯)が開催される今年、南アフリカ(南ア)政府は渡航者数一千万人以上を目標に揚げています。W杯の際、初めて南アを訪問する外国人も多いはず。その時、彼らの南アの第一印象は、入国の際の空港で決まるでしょう。第一印象は、今後の再訪問者数の増減に大きな影響を与えます。

鉄道網は発達していますが、長距離移動に使用する人はほとんどおらず、全体の35%の路線は運行していません。また、道路網も発達していますが、高速道路では制限速度を楽に越えるスピードが出る車が多いので、南アに慣れていないドライバーは危険です。南アでの国内長距離移動の手段は、航空機がメインです。しかし、南アにある十四の空港は、これまで、利用者からの評判があまりよくありませんでした。
まず入国審査の際、長時間待つことが常識化していました。南ア国籍の人は五分程で入国できますが、外国人は二~三時間並ぶことが普通でした。審査官が少ないことや、早く入国したい人が審査官に賄賂を渡すこともあり、審査官が意図的に混雑を誘発させることもあったそうです。そのため、空港の中はいつも大混雑で人ごみにまみれ、スリや置き引きも多かったようです。
  例えば、人が入国するより、荷物が先に飛行機から運び出され、ターンテーブルで回っている間に、置き引きに遭うことや、荷物の鍵がこじ開けられ、貴重品が盗まれる、という事件も度々起こりました。
また、空港には荷物を運ぶポーターが大勢おり、彼らはチップで生活しているため、我先に荷物を運ぼうと集まってくるので、恐怖を感じる観光客も多かったと思います。
  このような状態に危惧を抱いた南ア政府は、空港の改修・改善に52億ランド(約八百億円)を投資し、急ピッチで進めました。
  改修後の空港は屋根が高くなり、空港内のしきりをなるべく排除したため、、開放感のある場所に変わりました。
さらに、空港内の職員の業務を改善するために、民間の企業で空港職員の業務をチェックする体制をつくりました。空港派国が管理・運営しており、空港職員は全て公務員です。
  これまでは腐敗が進み、主に日本人や中国人を集中的に狙った「特別な検査」も行われたそうです。入国審査後に再度、手荷物検査を強制され、職員が難癖をつけ「少し金をくれれば、見逃してやる。」と賄賂を要求する犯罪が横行していたようです。理由も明かされずに、携帯電話や電化製品等を没収されることもあったそうです。
  ですが、民間企業がサービス体制をチェックし始めたことで、空港職員の犯罪もなくなり、日本の空港と変わらない対応を、受けることができるようになりました。
  セキュリティ面も強化され、空港内の防犯カメラを増設し、前号で触れたように、ポーターをなくしました。そのおかげで空港で多額の外貨交換をした観光客の後をつけ、強盗する事件が多かったのですが、その心配もないほど、安全になりました。
  南ア観光局のアジアパシフィックのリージョナルマネージャーであるブラッドリー・ブラウアー氏は「W杯はスポーツの大会にとどまらず、南アフリカの将来的発展に繋がる需要なイベントです。空港の改修、新設により、今後の南アフリカのビジネスや観光産業に大きな利益をもたらすと考えています。」と仰っていました。
  アフリカ諸国に勇気を与えるという面でも、W杯を成功させてもらいたいです。
 


29 「W杯効果で一時的には治安改善」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2010年.4月号 アフリカ最前線

南アフリカ特別編1

サッカーの南アフリカ・ワールドカップ(W杯)の開催が六月に迫ってきました。しかし、日本の多くのメディアは、南アフリカ(南ア)の治安不安を盛んに報じています。日本サッカー協会は、現地への女性記者の派遣を自粛するよう国内メディアに要請。外務省も、南アへの渡航に注意を喚起しています。現実はどうなのか。南アの最新情報を、三回連続でお伝えします。


 ※   ※   ※

 W杯決勝が行われる南ア最大の年・ヨハネスブルグ。世界で最も治安が悪い都市といわれてきましたが、W杯招致を機に、近年、防犯対策が急ピッチで進められました。
代表的な事例は、二○〇八年十二月に完了した、市内全ての交差点への「ハイテク監視カメラ」の設置。監視カメラ映像は、ヨハネスブルク警察が二十四時間体制でチェックするだけではなく、全ての車両のナンバープレートを自動的に読み取り、盗難車かどうかをデータベースで自動照合します。警察官も約四万人増員しました。市内であれば通報から警察官が駆けつけるまで平均一分と日本を凌ぐレベルです。
 このように、ヨハネスブルク市内中心部であれば、治安は相当改善しています。基本的に、昼間に団体で行動し、黒人移住区等の危ない場所に近づきさえしなければ、渡航者が犯罪に巻き込まれる可能性は低いでしょう。 また、南ア政府は積極的に雇用を創出し、犯罪仰止につなげています。
たとえば、ポーターによる置き引きや、スリ等が頻発していたヨハネスブルグ国際空港。南ア政府は、空港内の治安改善を図るため、道路やスタジアム建設等、W杯関連の整備事業の作業員として、ポーターを雇用。これにより、空港にポーターがほとんどいなくなり、空港内の犯罪は激減しました。こうしたW杯関連の、一連の公共投資による雇用拡大が、南ア全体の犯罪数を減少させています。
ですが、これは一時的な雇用に過ぎないのです。問題は、W杯後です。南ア政府は、01年度から防犯対策に多額の投資をしており、10年までに十五億ドルに達するといわれています。しかし、南ア警察の発表によると、06年度の「殺人件数」は19202件、08年度は18148件。約1000件減少したものの、日本の08年度の「殺人件数」1297件(警察庁「犯罪統計書」)と比べて、南アは日本の15倍。高い水準に張り付いたままです。
 南アで犯罪が多い原因の一つに、周辺諸国やアジア、中東から、大量に移民が流入していることが挙げられます。南アの人口約五千万人中、移民はジンバブエ人を中心に五百万人以上いるといわれ、そのほとんどが、低賃金で働いています。一方、移民に職を奪われた格好の、南アの貧困層の不満は拡大しており、移民排斥の動きが高まっています。暴動による死傷者も多数発生しており、かつてのアパルトヘイトに代わる差別画拡大しています。
こうした「新たな差別」が、さらなる貧困層を生み、犯罪発生の悪循環が止まらないのです。
 南ア政府は、低所得者向けに仮設住宅を建設する等をしていますが、南アフリカの犯罪をさらに減らすには、義務教育の徹底も必要です。初等教育で、社会のルールや道徳を学ばせる。基本的なことすら学べない子どもが多いことが、犯罪数の多い原因だからです。雇用と教育の改善が、南アが喫緊に取り組むべき課題であると思います。


28 「アフリカの人々が信仰する「宗教の源」 」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2010年.3月号 アフリカ最前線

世界経済フォーラムが昨年十月二十一日に発表した、二〇〇九年の社会進出における性別格差の度合いを少ない順に評価した「男女格差指数」では、百三十四カ国中トップ10に、南アフリカ(六位)とレソト(十位)の二つのアフリカの国がランクインしました。ちなみに日本は七十五位で、先進七カ国中最下位でした。
 アフリカ諸国では、女性の社会進出が進み、企業の役員や官僚、大臣等に女性が多く見られます。多くの国では、内閣に女性問題担当の大臣を置いて、女性の自立を政策的に推進しています。  自立が進むアフリカ女性を象徴する人物としては、コンゴのウィヴィンランドゥ元女性担当大臣が挙げられます。勉強家で、国際協力大臣から大統領候補にもなりました。彼女は大臣の時、軍の士気を高めるため、自ら銃を取り訓練に参加しました。その他、ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイ元副環境大臣。彼女は、独裁政権下にあったケニアにおいて、公然と政権を批判し、数度の逮捕と投獄を経験しています。それにも臆せず政治活動、環境保護運動を続け、〇四年度のノーベル平和賞を受賞しました。
 リベリアでは〇五年に、選挙により選出されたアフリカ初の女性大統領・サーリーフ氏が誕生しました。彼女は、ハーバード大学で経済学を学び、世界銀行のエコノミストや国連職員を経験した才女ですが、当時の独裁政権を批判したため、自宅監禁された経験があります。それでも、不屈の精神で大統領にまで上り詰めたため、「鉄の女」と呼ばれています。
 アフリカ人女性に共通するのは、ハングリー精神です。貧しさの中で、明日の生活をよりよくしようと頑張ってきた精神力がある。そのため、男女差別やセクハラに遭うと、誰かに助けてもらおうとするのではなく、自ら改善を訴えます。アフリカの一般女性が、もし電車等で痴漢に遭ったら、大声で周りの人々に訴え、自ら相手を攻撃し言い訳させない状態に追い込みます。痴漢した人は多くの人に顔を覚えられ、社会的に生活しづらくなる。また、ピグミー族は、夫婦喧嘩で奥さんが怒ると、家を壊して実家に帰ってしまいます。それほど怒っているんだ、と主張するのです。
 コンゴでは、ある村で自宅の近所で二回も浮気をした夫を、奥さんが近所の人々の見ている前で、棍棒で叩き殺したという事件がありました。もちろん、いけない行為ですが、アフリカ女性は、それほど自分にプライドを持っているともいえます。  一方で、私が来日したばかりの一九八五年当時、日本人男性の女性への対応は驚くべきものでした。日本の友人の家で食事をした時のことです。奥さんが台所で料理をつくり次々と運んで、ある程度料理が並ぶと、奥さん抜きで食事を始めたのです。奥さんをまるでメイドのように扱っているようで、大変ショックを受けました。コンゴでは、料理が食卓に並んでも、家族が全員揃ってからでなければ、食事は始まらないのが普通です。
 女性の奥床しさや、「内助の功」といった日本人が美徳とする価値観は素晴らしい。ですが、日本の女性がより社会進出するためには、もっと強くならなくてはいけないと思います。会社や社会の中で不平等を感じたら、強く自己主張すべきです。また、女性の社会進出には、周囲の理解・協力も不可欠です。
 私感ですが、日本人女性は男性の傘の下にいる気がします。女性の社会進出や差別等を解消する鍵は、女性自身が握っています。


27 「命懸けで男女格差解消に挑んできたアフリカ女性」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2010年.2月号 アフリカ最前線

世界経済フォーラムが昨年十月二十一日に発表した、二〇〇九年の社会進出における性別格差の度合いを少ない順に評価した「男女格差指数」では、百三十四カ国中トップ10に、南アフリカ(六位)とレソト(十位)の二つのアフリカの国がランクインしました。ちなみに日本は七十五位で、先進七カ国中最下位でした。
 アフリカ諸国では、女性の社会進出が進み、企業の役員や官僚、大臣等に女性が多く見られます。多くの国では、内閣に女性問題担当の大臣を置いて、女性の自立を政策的に推進しています。
 自立が進むアフリカ女性を象徴する人物としては、コンゴのウィヴィンランドゥ元女性担当大臣が挙げられます。勉強家で、国際協力大臣から大統領候補にもなりました。彼女は大臣の時、軍の士気を高めるため、自ら銃を取り訓練に参加しました。その他、ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイ元副環境大臣。彼女は、独裁政権下にあったケニアにおいて、公然と政権を批判し、数度の逮捕と投獄を経験しています。それにも臆せず政治活動、環境保護運動を続け、〇四年度のノーベル平和賞を受賞しました。
 リベリアでは〇五年に、選挙により選出されたアフリカ初の女性大統領・サーリーフ氏が誕生しました。彼女は、ハーバード大学で経済学を学び、世界銀行のエコノミストや国連職員を経験した才女ですが、当時の独裁政権を批判したため、自宅監禁された経験があります。それでも、不屈の精神で大統領にまで上り詰めたため、「鉄の女」と呼ばれています。
 アフリカ人女性に共通するのは、ハングリー精神です。貧しさの中で、明日の生活をよりよくしようと頑張ってきた精神力がある。そのため、男女差別やセクハラに遭うと、誰かに助けてもらおうとするのではなく、自ら改善を訴えます。アフリカの一般女性が、もし電車等で痴漢に遭ったら、大声で周りの人々に訴え、自ら相手を攻撃し言い訳させない状態に追い込みます。痴漢した人は多くの人に顔を覚えられ、社会的に生活しづらくなる。また、ピグミー族は、夫婦喧嘩で奥さんが怒ると、家を壊して実家に帰ってしまいます。それほど怒っているんだ、と主張するのです。
 コンゴでは、ある村で自宅の近所で二回も浮気をした夫を、奥さんが近所の人々の見ている前で、棍棒で叩き殺したという事件がありました。もちろん、いけない行為ですが、アフリカ女性は、それほど自分にプライドを持っているともいえます。
 一方で、私が来日したばかりの一九八五年当時、日本人男性の女性への対応は驚くべきものでした。日本の友人の家で食事をした時のことです。奥さんが台所で料理をつくり次々と運んで、ある程度料理が並ぶと、奥さん抜きで食事を始めたのです。奥さんをまるでメイドのように扱っているようで、大変ショックを受けました。コンゴでは、料理が食卓に並んでも、家族が全員揃ってからでなければ、食事は始まらないのが普通です。
 女性の奥床しさや、「内助の功」といった日本人が美徳とする価値観は素晴らしい。ですが、日本の女性がより社会進出するためには、もっと強くならなくてはいけないと思います。会社や社会の中で不平等を感じたら、強く自己主張すべきです。また、女性の社会進出には、周囲の理解・協力も不可欠です。
 私感ですが、日本人女性は男性の傘の下にいる気がします。女性の社会進出や差別等を解消する鍵は、女性自身が握っています。


26 「ナイジェリアの民主化に日本人の教え」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2010年.1月号 アフリカ最前線

アフリカには、軍人出身の大統領が多くいます。コンゴ民主共和国のカビラ大統領や、ギニアのカマラ暫定大統領等、枚挙に暇がありません。また、軍の権力が強いのもアフリカの国々の特徴です。
 なぜ、軍の力が強いのかといえば、これまでの歴史が関係しています。アフリカ諸国では、民衆の暴動やクーデターによる政権交代等、数えきれない紛争がありました。  今年三月には、マダガスカルでクーデターが起き、軍の支持を得た野党指導者ラジョエリナ氏が、大統領のラベロマナナ氏を退陣に追い込みました。その際、両氏の支持者が激しく対立、暴動に発展し、百人以上が死亡しました。現在は、ラジョエリナ氏が大統領に就任しています。この事件は、軍が大統領を失脚させたもので、ラジョエリナ氏は軍の傀儡に過ぎません。
 このような事態が度々起こるので、軍人の保護がなければ、政治も正常に運営できないのです。結果、軍人の権力が強くなり、政治にも介入し、法律を決める際にも、軍が関与する場合もあります。この悪循環が、アフリカ諸国の発展を阻害しているのです。
 アフリカの多くの国では、軍人はアンタッチャブルな存在です。コンゴ民主共和国では、かつて、大統領批判をしていたメディア協会の会長が、テレビの生放送出演中に、攻撃されるという事件がありました。一命はとりとめましたが、大統領の命令だというのは暗黙の事実で、その事件以来、コンゴのメディアは大統領に批判的な報道ができなくなりました。軍事力で国家の安定を保っている状態では、アフリカから軍事クーデターや暴動、紛争はなくならないでしょう。
 また、武器を輸出している、諸外国の思惑も関係しています。武器ビジネスは、巨大なビジネスです。二〇〇四年のイギリスの対アフリカ武器輸出額は、約一八億ドルにも上ります。そして現在、アフリカに対する最大の武器輸出国である中国は、スーダンや南アフリカ、コンゴ等に武器をばら撒いています。彼らが武器を売れば売るほど、紛争が増える。まさに「死の商人」といえるでしょう。
 一方で、安定した国もあります。ナイジェリアは、政治、経済、軍事のバランスがとれた国です。アフリカ第一位の人口、OPEC(石油輸出国機構)第六位の原油生産量、地域の紛争予防に対する貢献も国際的に評価されています。このナイジェリアの成功には、実は日本が深く関わっているのです。
 ナイジェリアの前大統領、オバサンジョ氏は元軍人で、一九七九年に民政移管を成し遂げた指導者です。ですが、ナイジェリアはその後、再び軍事政権に戻り、九五年、オバサンジョ氏は軍事政権によって、クーデター未遂容疑で逮捕されました。
 彼が収監された刑務所に、日本のお坊さんが訪ねて来て、「心を入れ替えて、この国の民主化を誓えば、助かるでしょう」と説いたのです。そして、別の軍事政権に代わり釈放された後、「もし、私が次の指導者になれば、この国を民主化する」と宣言したのです。
 その言葉は、多くの国民を虜にしました。そして、九九年、初の民主的選挙で、大統領に選ばれたのです。オバサンジョ氏は、大統領になって最初に日本を訪れ、日本の民主主義を見聞しました。そして、今日に至る、安定した国家運営の礎を築いたのです。
 その他にも、南アフリカ、ボツワナ、タンザニア、ガーナ、モザンビーク等は、鈴木宗男衆院議員が中心となって、日本が積極的に民主化を手伝った国です。いまも、それらの国の多くは、安定した国家運営ができています。
 アフリカ諸国の民主化に、日本はもっと寄与して欲しい。それは、資源外交等、日本経済にとって、必ずプラスになるはずです。



25 「食糧ビジネス」で注目されるアフリカの課題」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.12月号 アフリカ最前線

国際連合食糧農業機関(FAO)の今年六月の発表では、「全世界の飢餓人口は、〇八年の九億六千三百万人から、〇九年中に十億二千万人にまで増える」と予測しました。このような状況の中で、世界各国がアフリカの広大な土地で食糧ビジネスを興すことに注目しています。
 大航海時代から第二次大戦終戦まで、およそ三百年以上も続いた植民地時代、アフリカの大地はヨーロッパの国々によって支配されました。宗主国はアフリカ人を奴隷にし、ココアやカカオ、パーム油等を生産、自国へ輸出していました。その後、列強の殖民支配が終わり、主な輸出品は鉱物資源に変わりました。そして、プランテーションから開放された農奴たちは、今度は欧米資本が経営する鉱山の労動者として駆り出され、その結果、多くの農地が放棄されました。〇二年のFAOの発表によると、アフリカの耕作可能な土地八億七〇〇haのうち、実際に耕作されるのは、わずか25%に過ぎません。
そこに近年、アジアや中東の国々が目をつけたのです。ケニアでは〇八年十二月、カタール政府と土地のリース契約を締結。カタールから港や道路、鉄道等の建設に三五〇万ドルの投資を受けるかわりに、同国に約四万ヘクタールの土地を農作業用に貸し出すことをしたのです。また、中国の種子会社「ツォンチン・シード・コーポレーション」は〇八年五月、タンザニアから約三〇〇ヘクタールの土地を借り受けて、米を栽培することを発表しました。農作適地が豊富なアフリカに、食糧ビジネスが集まっているのです。しかし、「土地争奪戦」が無秩序に過熱すれば、新たな植民地争いになってしまう懸念があります。しかも、外国資本によって生産された農作物のほとんどは、輸出される可能性が高い。増産された食糧が、飢餓に苦しむアフリカの子供たち等にも回されるよう、配慮されるべきです。
 一方、土地政策で失敗し、危機に陥った国もあります。かつて農作物で外貨収入の約半数を占めていたジンバブエ(旧ローデシア)は、一九八〇年の独立時、支配階級だった白人たちと「政府が、白人農園主から、土地を市場価格で買い取る」という協定を結びました。政府は世界各国から融資をうけ、白人の農場を購入し、貧しい黒人に分配しました。
その後、低下した政権の支持率を回復するために、ムガベ大統領が、「ファスト・トラック」政策を二〇〇〇年に開始。これは、白人所有の大農場を強制収用し、黒人農民に再分配するというものです。結果、白人の持っていた高い農業技術が失われ、生産効果が低下、食糧危機を引き起こしました。そして、この独裁的な政策により、国際援助の停止や国際的な信用低下に伴う資金流失に加え、干ばつによって食料不足が深刻化。ジンバブエは厳しい飢饉に苦しんでいます。
今後、諸外国のアフリカ進出熱は、さらに、高まるでしょう。 しかし、アフリカ諸国には、自国の発展を考えて諸外国と交渉できる人材に乏しい。リーダー育成が、アフリカの急務なのです。タンザニア、ボツワナ、モザンビーク等リーダーがしっかりしている国は、アフリカでも安定した発展を遂げています。モザンビークのチサノ元大統領は、一九九四年に大統領に就任すると、政情を安定させ、九〇年代後半から、毎年六%前後の経済成長を遂げました。
世界で二番目に巨大な森林資源を有するアフリカ諸国は、経済、産業の発展だけではなく、環境保全についても責任を負わなくてはいけません。そのためにも、リーダー育成や、グリーンエネルギーの技術協力等で、日本を始めとする先進国の協力が、非常に重要なのです。




24 「世論に「監視」されているアフリカの裁判」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.11月号 アフリカ最前線

日本では、裁判員制度による裁判が始まりました。アフリカ諸国には裁判員制度こそありませんが、裁判制度がある程度成熟している国では、世論が裁判にとても敏感です。国民は、大きな裁判の行方を常に注目し、日常会話の中でも、よく裁判を話題にしています。
 また、世論が裁判に大きく影響するのも特徴です。国民は裁判の過程や結果に納得がいかないと、抗議運動やデモを行います。それを無視して、裁判を進めると、暴動等の大問題に発展してしまう。裁判官たちは非常に緊張感を持って、裁判に臨んでいます。
 例えば、1977年9月13日のコンゴ民主共和国のグンズ元首相の裁判です。グンズ元首相は、反政府ゲリラと通じていたという罪で、起訴されました。この裁判は国民の関心が高く、審理の模様は全てテレビで生中継されました。国民はこの中継を見て、「どう考えても起訴はおかしい」と、各地で抗議運動を起こしました。ですが、その声を無視し、死刑判決が出てしまったため、国民の抗議運動がさらに激しくなったのです。
 この抗議運動の高まりに、危険性を感じたアメリカ政府が、裁判を再チェックしたところ、一部の権力者が、当時大きな影響力を持っていたグンズ元首相を、陥れようとしていたことが発覚しました。そして、アメリカ政府がコンゴ政府に裁判結果を是正するよう厳しく抗議し、グンズ元首相は処刑される寸前で救出されました。その後、グンズ元首相は、アメリカのコンゴ大使に任命されました。
  また77年に、コンゴ初代大統領のマリアン・ングアビ大統領が暗殺された際の裁判は、半年以上続いたのですが、これも全てテレビの生中継で放送されました。国民が裁判を見たいと強く要望して、生中継が決定したのです。このように、アフリカでは、世論の関心が非常に高いのです。
 アフリカ諸国には、多くの国で死刑制度が残っています。一般的に、死刑に対する抵抗感はあまりないからです。殺人の現行犯等、100%その人が犯人だとわかっているものに関しては、「死刑は当たり前だ」とさえ思っています。むしろ処刑される前に、誰かに殺される可能性すらあります。
 かつて、マサイ族の女性をレイプ、殺害した外国人にマサイ族が報復、その外国人を殺害するという事件がありました。日本でも強姦殺人は死刑があり得る重罪ですが、初犯であれば、有期刑ですむ可能性があります。
 しかし、マサイ族を襲った外国人が、日本のように生きて刑務所に送られれば、マサイ族は到底、納得しなかったでしょう。おそらく、暴動が起きたと思います。ちなみに、マサイ族は殺害するだけでは鎮まらず、怒りのあまり、その外国人を食人してしまったことも付け加えておきます。
 裁判には、殺人等の重大事件への抑止力もなければいけない。ですが、無期懲役になっても、数十年で社会復帰できるなら、犯罪を抑止することができるでしょうか。殺人のような犯罪の抑止には、厳しい法的対応が不可欠だと思います。
 また、国民にもっと裁判の情報を流すべきだと思います。テレビ中継等を入れて、被害者と加害者、両方の意見を、何のフィルターも通さず国民に提供する。そうすれば、国民も公平な判断ができ、もっと裁判に興味が持てると思いますし、裁判官への監視にもなると思います。




23 「一票」が極めて重いアフリカの選挙

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.10月号 アフリカ最前線

本稿執筆時点では、日本の総選挙は行われていませんが、アフリカでも、多くの国で選挙が行われるようになってきました。ですが、アフリカでは軍の力が強い国が多く、政府に反抗すると殺される危険があり、多くの場合、民主国家でも容易に国民の意思が選挙結果に反映されないのが実状です。
 例えば、トーゴやカメルーンでは、投票の際に、現政権への賛成票しか国民に渡されない。そして、投票所では軍人が見張っており、有無をいわさない形で、現政権が継続してきました。選挙が意味をなしていないのです。その他にも、買収や票の水増し等の不正による「結果の決まっている選挙」が多いのも事実です。
 そうしたところに、先進国の思惑も加わっています。例えば、コンゴ民主共和国のカビラ大統領。彼は学校に通ったことがなく、民主主義のリテラシー(知識)がありません。なぜ、そんな人物が大統領になれたのか。先進国にとって、武器取引や資源交渉等がやりやすい人物だからです。カビラ大統領や政府の役人たちも、先進国のいうことに従っていれば、不正蓄財や身の安全の保障等、手厚い庇護が先進国から受けられるからです。当然、カビラ政権に対する国内の不満が高いのですが、政権側は軍を増強し、徹底的に国民を締め付け、圧政を敷いています。独裁以外の何ものでもない。軍の力を弱めなければ民主主義の道はないと考えます。
 同一政権が長く続くのは独裁と同じ。いろんな所で、嘘やでたらめがまかり通ってしまう恐ろしさがあるからです。先日、モザンビークのチサノ元大統領とお話をする機会がありました。「独裁を防ぐために、大統領任期は三期十二年までにすべき」と言明し、長期政権の国を危惧されていました。例えば、エジプトのムバラク大統領は三十年近く在任しており、私から見れば独裁国家です。一人の人間が強大な権力を持ち続けることほど、危険なことはない。どんなに優秀な指導者でも、一定の在任期間が過ぎれば交代させることが重要です。
 アフリカで民意が反映された選挙としては、二〇〇二年のケニア共和国の大統領選挙があります。ケニアは独立以来、ケニア・アフリカ人国民同盟の一党独裁体制が敷かれていましたが、「あなたの一票でケニアが変わります」というスローガンで、選挙が実施され、一党独裁が崩れました。投票所が少なかったこともあり、投票が終わるまで三日間かかりましたが、混乱や暴動もなく、平和裡に終わりました。  その他、アフリカの中でも民主的で平和な選挙が行われるのは、タンザニアやボツワナ、南アフリカ等です。そういう国々は有権者が候補者を見る目も厳しい。自分たちの未来をよくしてくれる候補者を選ぼうと、政治への関心が非常に高い。
 先日行われた南アフリカ大統領選挙では、初の黒人大統領のマンデラ氏が当選して以来、政権与党だったアフリカ民族会議に野党勢力が肉薄し、次回選挙では政権交代の可能性も噂されています。汚職や不正が多いアフリカでは、国民が政治を監視しようという意識が強く、当然、政治家には「いい政治をしなければ政権の座から落とされる」という危機感があります。
 日本よりもアフリカの方が、「一票の重み」「民主主義の貴重さ」を、より真剣に考えてきたのは事実。日本に見習うべきことが多いアフリカですが、この点だけは、胸を張ることができます。




22 「貧困」が招いた爆発的なエイズ拡大

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.9月号 アフリカ最前線

エイズはアフリカの大きな問題です。全世界で約三千六百万人のエイズ患者がおり、このうち約七〇%がアフリカ人といわれています。中でもボツワナにアフリカ全体の三六%、ジンバブエやレソト、南アフリカ近隣に二五%、ケニアで一七%の患者がいると推定されています。日本も先進国の中で、唯一感染が拡大しているといわれています。世界的にエイズへの危機感が非常に鈍くなっています。エイズの怖さを忘れているように感じます。
 先進国では、エイズ検査があちこちで行われていますが、アフリカでは、検査を行うことは非常に困難です。検査キットが限られた場所しかありませんし、あったとしても、検査費用がなかなか払えないので、貧しい大部分の人は検査を受けられないのです。検査を受けず、エイズと気づいていない患者が多いので、潜在的な患者数はさらに多いと思います。
 アフリカで集中的にエイズが、蔓延しているのは、貧困が原因と言えます。日本等の先進国では、エイズのような感染症の拡大を防ぐため、使い捨ての注射針を使うことが常識ですが、貧困なアフリカでは、使い捨て注射針は普及していません。医療費を安くするため、注射針は使い回しが当たり前です。しかも、使用した注射針を消毒する滅菌装置も満足に普及していない。そのため、エイズに感染した血液は、皮肉なことに、医療行為である注射を通じて次々と感染していくのです。
 献血等で感染するケースも多いです。貧しい人たちの間では、献血した際に貰えるバナナやミルクを目当てに献血する人たちが多い。しかし、エイズの感染に気づかず、献血し、血液のチェックも曖昧なので、その血を輸血し感染したり、または、献血の注射針を使い回して、感染すること等もあるようです。
 アフリカの人たちも注射針が危険であることはわかっています。ボツワナである女性に会いました。その女性の赤ちゃんがエイズに感染したそうです。なぜ、赤ちゃんなのに感染したのか、と尋ねました。ある時、赤ちゃんが高熱を出し、一刻も早く病院で点滴を受けなくてはいけない、危険な状態になったそうです。しかし、田舎の病院では、点滴の針を何度も使い回すのが普通です。そのためその女性は、「子どもが高熱で死んでいくのをただ見守るか」、「エイズに感染するリスクを負って点滴を使うか」の二者択一を迫られました。結果、運悪く、赤ちゃんはエイズに感染してしまったそうです。その女性に「あなただったらどうしますか」と聞かれたのですが、何も答えられませんでした。
 エイズ感染拡大の抑制のためには、一人一人がエイズへの意識を高めることが、一番効果的だと思います。全世界の国々がメディア等を通じて、もっと啓蒙活動を行うことが必要です。また、もっと簡単に、安く、個人でできる検査キット等の開発に費用をかけるべきです。エイズ感染者は圧倒的に二十代、三十代が多く、働き盛りの若者たちが倒れてしまっては、産業や経済の停滞を招くだけでなく、国が成り立たない。
 対アフリカ医療援助のあり方も見直す時期だと思います。これまでの援助は、末端の人々まで届いていない。民間団体等が行っている援助は、末端の人々へ直接援助しているので、わずかな費用ですごく効果的な支援ができていると考えます。高価なCTスキャンを一台送るより、使い捨ての注射針を何千本送る方が、現地の人たちにとって、より生きた支援になると思います。





21  「治安」「人種差別」「格差」に課題を残す南アフリカ


リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.8月号 アフリカ最前線

日本財団の「アフリカ貧困プロジェクト」に同行し、南アフリカ共和国を視察しました。
 南アフリカは、四年前に訪れた時と全く違う雰囲気でした。特に空港の変化に驚きました。以前は、空港を出ると、チップを貰おうとポーターが大勢集まってきて、すごく怖い思いをしましたが、そんなことはありませんでした。空港職員の対応も親切丁寧で、快適に過ごせました。この変化は、空港内をチェックする組織を結成したことが大きかったそうです。その組織が、職員や設備を常にチェックし、職員の指導や施設の改善をする体制を整えたのだそうです。
 私が滞在したヨハネスブルク近郊の「サンシティ」という場所は、以前白人専用のリゾート地として栄え、アパルトヘイトの象徴といわれていました。それが、いまでは誰でも利用でき、大勢の警備員が配置されているので、南アフリカで一番安全なリゾート地と評価されています。
 このように大都市の治安や公共サービス等は、かなりよくなっています。ですが、残念ながら地方はいまだ以前のままの姿で残っているのです。
 サンダラとソエトという、非常に貧富の差が激しい街も視察しました。街の一方には、新宿のような高層ビル群が建っており、一方ではトタンや泥でつくられた家に住んでいる人々がいる街です。私は貧しいコミュニティで、ジョゼフという若いリーダーと会いました。彼は「私たちのコミュニティの人間が大都市で犯罪を犯しているのは本当です。ですが、犯罪行為をしなければ生きていけないのです」と現状を話しました。
 その後、島全体が刑務所だったロベン島を訪れました。昔、アパルトヘイトに反対する黒人の強制収容所として使われた刑務所で、マンデラ元大統領も収容されていました。現在は一般に公開され、一九九九年、世界遺産に登録された場所です。当時の囚人たちは、一日中過酷な労働を強いられ、「処刑されたほうが楽だ」と思うほどだったそうです。
 その後、アパルトヘイトが撤廃され、刑務所も閉鎖され、表面的な人種差別はなくなりました。ですがいまでも、肉体労働者の多くが黒人だったり、白人の集まる会議には黒人は出席できなかったりと、内面的な差別はまだ根強く残っています。
 様々な問題を抱える南アフリカですが、一番の問題は難民だと思います。いまは、来年のワールドカップ開催に向けて、インフラやスタジアムの建設等により、多くの雇用があるので、あまり難民問題が重大化していません。ですが、ワールドカップが終わり仕事がなくなった時、どうするかを、いまから考えておかなければならないのです。
 国民の不満の高まりは徐々に顕在化してきています。南アフリアの政権与党は、「アフリカ民族会議」(ANC)です。今年四月に行われた国民議会選挙では、ANCの得票率は六五・九%で、前回よりも三・八%低下し、単独で憲法を改正できる三分の二以上の議席を占めることができませんでした。さらに、西ケープタウン州では野党が過半数を占める等、国民の与党への不満を表す結果となりました。
 南アフリカは、来年のワールドカップを成功させ、世界に存在感を示して欲しい。そうすれば、日本やアメリカ等の先進国とも、より良好な関係を築けるはずです。
 南アフリカの発展は、周辺諸国にも好影響を与えるはずです。



20 日本の存在感を増す適切な支援が必要

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.7月号 アフリカ最前線

三月下旬から、日本財団の「アフリカ貧困プロジェクト」に同行し、南アフリカとコンゴ民主共和国を視察しました。今回で第十回目になります。曾野綾子日本財団前会長や尾形理事長等、合計十五名と行動し、日本財団がアフリカで展開しているボランティア活動や、アフリカの現状を見てきました。
 コンゴでは、首都キンシャサからさらに数百㎞ほど離れたキクウィットという街に滞在しました。この街は一九九五年に「エボラ出血熱」が発生し、数百人が亡くなった場所です。私たちはその街の修道院で数日間お世話になりました。この辺の修道院ではエボラ出血熱が発生した当時、その危険性を知りながら患者の看護を続けていたのです。
 またキクウィットでは、エボラ出血熱にかかり奇跡的に生き残った三人と、エボラ出血熱で家族を亡くした方々にお会いしました。そこで予想以上の現実を知りました。
 エボラ出血熱が流行した当時、世界中から調査機関や専門家等が訪れ、調査はもとより、ワクチン開発のための血液検査と思われる様々なことをしたそうです。ですが、九五年八月に終息宣言が出された途端、一斉に引き上げてしまった。その後、患者たちは、治療費も自費で支払うことになり、何の保護もされないまま、現在に至っているそうです。エボラウイルスを排除するために、家を焼かれたり、疑いだけで家族全員捕まえて殺された方々は、少なくありません。さらに、エボラ出血熱は、再度発生する可能性があるにも関わらず、何の対策も立てられていない。このような世界中の無関心さから、生き残った方々は「世界から見捨てられた」と話していました。
 この様な矛盾した現実がありました。まして二十一世紀は戦争よりも、ウイルスとの戦争といわれています。この現状を、世論は耳を傾ける必要がある。特にエボラ出血熱はアジアにも発生しているということを認識すべきです。
 もう一つ、アフリカにおいて、ますます日本の存在感が薄くなっているということを感じました。数年前にアフリカを訪れた際は、一緒にいる日本人を見て「日本人か中国人か?」と聞かれていたのに、いまでは「中国人ですね?」と聞かれます。アフリカ政策で、中国に大きく水をあけられている。日本は中国と同じようなハコ物の建設や道路の整備等ではなく、教育や医療等、中国が及ばない分野で、アフリカ各国の信頼を得ていくべきだと考えています。そういうところで日本のプレゼンス(存在)を示していくべきです。
 また、日本がどんな支援や協力をしているのか、もっとアピールすることも大事だと思います。
 今回私は、神奈川工科大学の中部謙一郎理事長からホロスコープ等の研究機材のドネーション(寄付)をコンゴの大学に送りました。そのドネーションは喜ばれて、全国のトップニュースで報道されました。その時期、EUを訪問中だったオバマ米大統領のニュースより、ドネーションのニュースの方が大きく報道されました。なぜなら、コンゴでは教育が一番重要なニュースだからです。
 つまり、政府に物を与えるより、国民が必要とする目に見える物を提供する方がいい。その方が相手から感謝されることになります。本当に日本人や私も頑張らないと、世界の中で日本人の存在感がなくなってしまうでしょう。



19 「プロスポーツ」の発展を阻害する欧米等の「青田買い」


リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.5月号 アフリカ最前線

日本ではプロ野球やサッカーのJリーグが開幕しましたが、アフリカでもスポーツは人気があります。
近年では、スピードを競い合う自転車競技が流行しました。フランス語で「クルス」という競技で、スター選手も数々輩出しました。毎週土日には、大勢の 観客が観戦する人気スポーツでしたが徐々に人気が下火になり、その後、人気が出てきたのはバスケットボールやバレーボール、サッカー、柔道や空手等の格闘技です。各国にはプロチームも出てきました。私自身、空手をやっていました。アフリカで空手は人気スポーツで、アマチュアの試合でもチケットが飛ぶように売れるほどです。私も空手の試合に出場して、ファイトマネーを貰い学費に充てていました。
しかし現在、人々の間では、アフリカでスポーツを仕事にするという意識は希薄です。なぜなら、スポーツ一筋で活躍した選手が、引退後に仕事につけず、落ちぶれていく例が、後を絶たないからです。私の友人でも、ヨーロッパのサッカーチームで選手として活躍した後、コーチも務めて人がいました。引退して帰国したのですが、何も仕事なく、数年後、路上で生活することになってしまいました。同様の例はたくさんあります。
アフリカは発展途上国が多く、仕事も、スポンサーとなる企業もない国が多いのです。比較的豊かな南アフリカでも去年十月の失業率は23%、ジンバブエでは同時期の失業率が80%以上にもなります。スポーツ選手の引退後を保障できるほど、成熟した社会システムを持っている国は少ないのです。しかも、成功できる人は百人に一人いるかどうか、スポーツ選手になることは、一種のギャンブルのように受け止められています。
欧米や日本のスポーツ界では、アフリカの若く才能のある選手を青田買いする傾向が強まっています。去年の北京五輪マラソンで、金メダルを獲得したワンジル選手はケニア出身で、高校生の時、仙台育英学園に駅伝の選手としてスカウトされ来日しました。
気をつけなければいけないのは、ワンジル選手の例は非常に稀だということです。才能がある人がチャレンジするのはいいことですが、引退した後、どのような道があるか、ということです。
アフリカ各国ではスポーツ大臣を置いたり、奨励金制度をつくり、勉強しながらスポーツが出来る環境を整えたりして、選手の育成を行っています。例えば、アフリカの国々ではここ十五年くらいサッカー選手の育成機関がたくさんできました。しかし、若いうちからヨーロッパ等に引き抜かれる選手が多く、上手く育成システムが機能してないのが現状です。そのため、育成機関の財源も厳しく、選手の引退後のフォローまで手が回らないのです。アフリカでは、職業としてのプロスポーツ選手への不安がおおきすぎるのです。
日本では去年一月に、選手引退後に充実したキャリアを獲得できるような支援を目的としたJOCキャリアアカデミーが設立される等、セカンドキャリアへの取り組みが進んでいます。その日本の知恵を貸して頂きたい。アフリカのスポーツが成熟すれば、用具メーカー等にとっては大きな市場となり、ウインーウインの関係になれると思います。




18 アフリカの植民地を進める「中国」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.4月号 アフリカ最前線

二月中旬に中国の胡錦濤国家主席が、アフリカ諸国を歴訪しました。二年ぶり四度目の訪問でアフリカとの関係を強めています。中国のアフリカとの貿易額は、二〇〇〇年に約一〇〇億ドルだったのが、〇八年には一〇〇〇億ドルを超えました。
 中国のアフリカ支援は、「ひもつき援助」と呼ばれるものが多くあります。これは、中国の援助により行う建設工事等を中国企業に発注することが義務づけられていたり、石油開発権の確保等とセットになっている援助のことです。
 例えば、アフリカ有数の石油産出国アンゴラでは、中国から二〇億ドルの借款を受けた代わりに、国内の三つの石油資源区域の株式が中国企業にわたっています。
 また、南アフリカにはレア・メタル「クロム」の全世界埋蔵量のうち、七四%も有しており、ここでも中国は道路建設等の支援と引き換えに、クロム権益を獲得しています。
 中国のアフリカ援助は非常に計算されていると感じます。例えば、道路やスタジアム等、人目につくものをつくり、中国人の労働力を使う。そして、現地の人たちに「中国人が便利なものをつくってくれた」と思わせ中国人に対する親近感を与える。さらに、スタジアムの看板等に中国企業の広告を入れる。スタジアムでは、スポーツの他、建物がないので結婚式、式典等、様々なイベントが行われます。その度に、人々は中国企業の広告を目にし、身近な国と感じるようになるのです。
 アフリカが中国とつながることは危険で、注意した方がいいと思います。アフリカには核兵器の素材となるウラン等、戦略資源が多く、それらが容易に中国に輸出されると非常に危険です。
 また、メラニン汚染された中国製の粉ミルクが世界各国に出回っていたように、危険な食品や粗悪な品物がどんどんアフリカに流入する危険等もあります。
 実際に、アフリカの資源はどんどん中国に輸出され、逆に安価な中国製品が大量にアフリカへ流入し、現地企業が次々倒産しています。
このような中国の手法は、植民地時代のヨーロッパと同じ手法なのです。
 植民地時代、ヨーロッパの国々がアフリカに侵入し、「何もしなくても、私たちが全て無料でやります」と、インフラ等の社会基盤の整備から、ヨーロッパ式の宗教、政治制度、文化、言語、を与え、支配しました。甘い言葉の裏に巧妙な計略が隠れているのです。
 アフリカには、情報の伝達が遅い地域も多く、中国の影響力がさらに大きくなると、偏った情報が流失する可能性もあります。また、中国の産業技術はまだ未熟なので、日本等の確かな技術をもった国の技術指導が必要です。
では、日本のアフリカ援助はどうでしょうか。〇七年度の日本政府の国費留学生の中で、アフリカからの留学生は全体の六・八%にしか過ぎません。いくらお金やものを援助し、国民の手に届いても、どこの国の援助かなんて気にしません。心の残る支援が必要なのです。
 日本が進むべき方向性は、将来のアフリカ諸国を背負って立つリーダーや有識者を生み出すため、日本・アフリカ間の留学生制度を整えることだと思います。短期ではなく長期的に留学させ、政治、経済の専門家や、産業技術者を育てることでその国を育てる。
 若い人材を育成は、将来のアフリカ諸国の自立につながります。その時、日本で学んだ指導者は、日本との関係をより深めようとするでしょう。留学生制度の整備は人材への投資なのです。そして結果的に日本へ利益をもたらすことになると思います。これは私のライフワークです。
 対アフリカ関係で、中国の一番のライバルとなるのは日本だと思います。日本はアジアの中で唯一の先進国であり、様々な産業技術もトップクラス。中国は、日本が本格的にアフリカ関係の強化に乗り出すことを、一番嫌がっているはずです。



 

17 先進国の無理解が「ソマリア紛争」泥沼化の一端

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.3月号 アフリカ最前線

 ソマリアと隣国エチオピアは、一九六四年から両国の間にある「オガデン州」の領有問題で争っていました。八八年両国間で和平合意がなされましたが、九一年にソマリアは、独裁体制を敷いていたバーレ大統領が反政府勢力により失脚し、内乱状態に陥りました。
治安の悪化や、餓死者、難民が大量に発生したため、翌年、国連軍による平和維持活動が開始されました。ですが、現地武装勢力との衝突により三カ月ほどで撤退してしまいました。その後、いくつか暫定政権が誕生しましたが、各地の内紛を止めることができず、泥沼化していきました。
 そして、二〇〇六年七月、イスラム原理主義勢力「イスラム法廷連合」が首都モガディシオを掌握しました。これを危ぶんだのは、キリスト教国のエチオピアです。ソマリアとの紛争が再燃する危険性があったのです。
 そこで、首都から追放され弱っていた暫定政府をエチオピアが支援、法廷連合をアルカイダ組織と見なした米軍も介入し、激しい戦闘が起こりました。結果、〇八年八月に停戦協定が成立し、徐々に国内の安定化が進展しています。とはいえ、治安はいいとはいえない状況です。テロ組織が交渉カードとして、外国人や国際機関職員等を拉致することは珍しくありません。
 この内戦ため、ソマリア経済は悪化、難民も多数発生しました。平和基金会が発表する失敗国家ランキングで三年連続一位になる等、国外からの支援頼りの国に陥っていることが、ソマリア沖で海賊行為が頻繁に起きている背景なのです。
 〇八年九月二十二日に、エチオピアで「国境なき医師団」職員の日本人女性とオランダ人看護師の二人が武装集団に拉致されました。武装グループは、「エチオピア政府がソマリア人を多数拘束している」、と非難し「その報復として拉致した」との声明を出し、人質解放の条件としてエチオピア政府が拘束しているソマリア人の釈放を求めました。そして、今年一月八日に二人は無事解放されました。
 同様の事件には、誰でも巻き込まれる可能性があると認識して行動しなければいけません。反政府組織にとって、「外国人は自分たちを駆逐する敵」とみなされておかしくないからです。どんなにその国のために身を粉にして働いている国際機関スタッフでも、反政府の海賊やテロ組織から見ると信用できない。ボランティア精神は素晴らしいことですが、危険地域に素人同然の知識で行ってしまう人々は、見ていて怖いです。
 この状況がつくられた責任の一端は、先進国にもあると思います。紛争のための武器はどこから来ているのか、ということです。ソマリアで武器をつくることはできない。先進国から買うしかない。武器を買う資金のために、犯罪に手を染める。負のスパイラルに陥っているわけです。
 この状況がつくられた責任の一端は、先進国にあると思います。この紛争で使用されている武器はどこから来ているのか、ということです。ソマリアで武器をつくることはできない。先進国から買うしかない。武器を買う資金のために、犯罪に手を染める。負のスパイラルに陥っているのです。
この状況は、国際機関が主導して解決できるものではないと思います。ソマリアの文化を深く理解している人々同士で話し合いをさせる場をつくることが最優先なのです。夫婦喧嘩でも、仲裁に入る人は、夫からも妻からも信用され、何とか喧嘩を終わらせようと思う人でなければなりません。先進国も介入の仕方を考えるべきです。
 仲裁人は、ソマリア地域の言語、文化、歴史を理解し、その地域の人たちに尊敬される人がいい。
例えば、モザンビークのジョアキン・アルベルト・シサノ元大統領です。一九七五年の独立以来続いていた内戦を終わらせ、同国に民主主義を構築した人物です。彼のような実績のある高名な人を仲裁に立てることが重要だと思います。
ソマリアの人々も平和に生活できるなら、テロや海賊行為はしないはずです。我々は、ソマリアの人々の目線に立った解決方法を探る必要があるのです。



 

16 ルワンダ難民問題の解決にはアフリカの自立が不可欠

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.2月号 アフリカ最前線

 現在でも数万人規模で存在するルワンダ難民の問題は、現状のままでは解決するのは不可能だと思います。難民問題が複雑化しているのは、ルワンダ周辺国の政治的思惑が絡んでいるからなのです。
 この問題の端緒となった「ルワンダ紛争」とは、多数派民族のフツ族と少数派民族のツチ族の争いのことをいいます。一九五九年に両部族の最初の大きな争い「ムボニュムトゥク襲撃事件」が起き、ルワンダにフツ族政権が誕生し、ツチ族は隣国ウガンダに逃げました。亡命したツチ族によるルワンダへの攻撃が六三年に始まると、フツ政府によるツチ族の虐殺が起こり、約二十五万人のツチ族が難民となりました。これが最初の難民です。
 難民が流入したウガンダには、七一年にアミン大統領が誕生し、逆らう者は全員処刑する恐怖政治を敷きました。アミン政権に危険性を感じたアメリカは、当時、アフリカ大陸で大きな影響力を持っていたザイール(現・コンゴ民主共和国)のモブツ大統領と共に、アミン政権を瓦解させました。そして、ウガンダからモブツ氏の元に逃げていたムセベニ中将をウガンダ大統領にしたのです。
 ですが、今度はムセベニ氏にとってモブツ氏が邪魔になった。アフリカ大陸で絶対的な権力を持つモブツ氏に逆らえず、目障りになったのです。また当時、モブツ氏に可愛がられていたフツ族のハビャリマナ・ルワンダ大統領への嫉妬もあったようです。そこでムセベニ氏は、ルワンダ難民出身の優秀なツチ族軍人・カガメ氏を使いモブツ政権を打倒しようと考えました。
 九四年、ハビャリマナ氏が搭乗した飛行機が撃墜され、ツチ族の仕業だと思ったフツ族によるツチ族のジェノサイド(大虐殺)が起こりました。約百日間で約八十万人が虐殺されました。その後、ウガンダに逃れたツチ系難民によって設立されたルワンダの旧反政府勢力「ルワンダ愛国戦線」がジェノサイドを鎮圧しました。その直後から、ツチ族の報復を怖れたフツ族約二百万人が隣接国へ脱出したり、国内で隠れて生活するようになりました。
 発端となった飛行機撃墜は、原因不明といわれていますが、私はムセベニ氏が画策したものだと考えています。なぜなら、ルワンダ愛国戦線を主導したのが、ムセベニ氏子飼いのカガメ氏で、後にルワンダ大統領に就任したからです。
 現在カガメ氏は、フツ族難民の大量帰国を恐れています。フツ族は多数派民族で、フツ族が大勢戻ってくると選挙やクーデター等でフツ族政権が変わる可能性が高い。そうなると、飛行機事故の原因等、隠蔽している事実が明るみに出るからです。そのため、難民を戻さないように画策しているのです。大きな難民キャンプのあるコンゴ民主共和国では、モブツ大統領がクーデターで倒れ、カビラ大統領が就任しました。このカビラ氏は、ルワンダ出身でカガメ大統領の傀儡的なところがあります。
 つまり、問題の起こっている地域三国のリーダーが結託し難民が戻らないように、各地で紛争を誘発しているのです。私は、カガメ氏を個人的に知っていますが、彼はこの事実が世界に露見することを恐れています
。  ルワンダ難民の問題を解決するには、一度この三国を整理しなくてはいけない。全ての民族を元の国に戻し、民主主義国家、新憲法の施行、国会議員の安全保障、この三つを早急に確立し、社会にモラルを取り戻すことが必要なのです。そして、国家のために働く、政治や経済の専門家を育成することが急務です。



 

15 オバマ氏に期待するアフリカの宿痾の根絶

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2009年.1月号 アフリカ最前線

 今回の米大統領選挙中、先進国に住んでいるアフリカ出身の有識者同士で連絡を取り合い、さまざまな方面からオバマ氏の支援を行いました。
その中には、アメリカの著名なプロバスケットボール選手や国際連合の有力者等も加わっていました。
なぜ、こんな活動が行われたかというと、アフリカに根づく紛争、貧困、人種差別の問題の解決が、世界中のアフリカ人全員の長年の悲願であり、アフリカ系アメリカ人のオバマ氏が、アフリカに本当の平等な社会をもたらしてくれると期待しているからです。
 オバマ氏の父親の故郷であるケニアのアウォリ駐日大臣も「彼はケニアだけではなく、アフリカ全土から非常に期待されています。なぜなら彼は、(黒人が大統領になるという)これまで不可能だと思われていたことを実行し、無限の可能性を実証したからです。彼は多くの人の希望でもあるのです」と話しています。
 オバマ氏の重大な課題である世界的な金融危機は、アフリカにも影響を及ぼしそうです。いくつかの先進国の企業がアフリカに進出しているので、連鎖的にアフリカ経済も冷えこむと予想されます。
現在は、アフリカには発展途上国が多く、また、国営企業や国が関与している企業が多いので、まだ大きな影響はありませんが徐々に厳しくなると思います。
 特に南アフリカが大きな影響を受けると思います。サブプライム問題が起こる少し前に、ムベキ大統領が任期満了前に辞任しました。
この混乱はどうにか乗り越えましたが、次期大統領の有力候補ズマ氏は、これまでの経済優先から福祉優先の政策を採ると見られ、現在の年率3%縲怩S%の経済成長がストップしてしまうと懸念されています。
そして、世界的な金融危機が追い打ちをかけるように発生しました。世界経済の減速と新政権の誕生で、南アフリカ経済には大きな不安があります。
 その他の国々は、いまだに植民地時代のように手足を縛られた状態といえます。フランス語でいう「colonisation scientique」(技術的植民地)」です。表向きは自由なのですが、実際は先進国に縛られている。先進国の利益にしかならず、自分たちには反映されない経済システムが構築されているのです。
たとえば、自由貿易といいながら、アフリカでつくった製品の値段は、輸入先の先進国が決めていることが多いのです。
また、アフリカの部族同士の紛争の裏にも、先進国の資源を巡る思惑があったりします。冷戦時代の朝鮮戦争やベトナム戦争のように、先進国の代理紛争のような現状がアフリカにあるといわざるを得ません。弱いものは徹底的に搾取され、利用されているのです。
 オバマ氏に期待するのは、現状に変化を起こすことです。アメリカ国内だけではなく、アフリカを含む世界中から期待されています。
 ですが一方で、オバマ氏が負っているリスクは相当大きい。上手くいけば歴史に名を残す政治家になれるし、失敗すれば世界中から批判される。最近の歴代アメリカ大統領は、そのリスク負わずに問題を先送りにしてきたのです。
 これからオバマ氏を陥れるために、あらゆる謀略、“毒まんじゅう”が送られてくると思います。オバマ氏はそれに耐えきらなければいけない。そして、いま世界中が白人社会やアメリカへ傾いているパワーバランスを、修正しなくてはいけない。
 オバマ氏の就任が世界のパワーバランスの再構築のスタートだと感じています。その中で日本も先頭に立ち、アフリカを始め、世界中の問題に対し積極的に関わらないと、新しい世界秩序から取り残されてしまうでしょう。



 

14 「ゼロからの改革」を迎えた世界情勢

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.12月号 アフリカ最前線

 この号の発売日にアメリカ大統領選挙が行われますが、私は、アフリカ系アメリカ人のオバマ氏が次期大統領になることを支持しています。いま世界は、金融、経済の混迷や、ロシアのグルジア侵攻等の世界情勢の不安、そして環境問題も世界中で重大な問題として認識されています。世界が大きな変化の時期にあるのです。
 今回のアメリカの金融危機は、世界規模での大きな危機に発展しました。そのため、従来の手法では、とても解決しません。二酸化炭素輩出量をビジネスにする等、マネーゲームがあまりにも複雑になりすぎたため、多くの優秀な経済学者が膝をつき合わせて考えても解決の糸口が見えなくなりました。
 ですから、極論的ですが、根本的にゼロから考える必要があります。その上で、あたらしいシステムや解決方法を考えなければならないのです。怪我をして血が大量吹き出ているのに、絆創膏を貼っても意味がありません。根本な 外科手術が必要ということです。
 また、軍事力が人間のコントロールできる範疇を超えてしまっており、軍事力に傾倒する政策も時代遅れです。
オバマは、そのような人類の進化の時に大統領になるべき運命の人物だと思います。
 例えば、マケイン氏は、米軍のイラクへの無期限駐留や、軍事力拡大、テロ国家・組織との徹底交戦等を打ち出す等、好戦的に見えます。
一方オバマ氏は、テロとの闘いは徹底するものの、二〇一〇年までに米軍をイラクから撤退、イラン・キューバ・シリアとの対話等、軟化方針を打ち出しています。
 これまでの戦争や紛争等では、政治等とは無関係な一般人の血が多く流されました。「こんなことはナンセンスだ」という地球全体の意思が生まれており、オバマの政策は重なるところがあります。
 さらに、オバマ氏が大統領になれば、アメリカと中東の関係が冷静さを取り戻すでしょう。外交に関して、軍事力で解決しようとするのではなく、対話を優先することからです。童話の「北風と太陽」のようなものです。イラクも武力で制圧したはいいが、いまでもテロ等が続き、治安は不安定なままです。対話を優先しなかったつけが、いまでも残っているいい例です。
 オバマ氏が大統領になり、権力を頼りにせず、民意に沿って政策を行えば、歴史に名を残す政治家になれると思います。また、そういった変化を起こすことが彼の大きな役割なのです。
 日本の政界についても同じことがいえます。五五年体制といわれた時代でも、一度自民党が野党のなった時に政界再編していれば、いまのような政治混乱にはなっていなかったでしょう。
ですから次の総選挙で、自民党が引き続き政権を維持しても、参議院では野党なので法案は思い通りに成立はしません。また民主党も単独政権にはなれないでしょう。
解決するには一刻も早い政界再編をするべきでしょう。そして、明日の日本のため、日本人のため、そして世界のために、日本はどうすべきかを考えられる体制をつくらなくてはいけないのです。
 本来、政権与党は、一度野党を経験するべきなのです。政策をチェックする立場を経験し、与党は交代していくべきなのです。ですが、日本は一時期を除いて自民党が与党であり続けています。一党が権力を長く持ちすぎれば、それは独裁になってしまいます。早く独裁体制から脱却しなければいけません。
 当然のことながら、その変化を決めるのは有権者です。いままで国民も、何か問題が起きれば、政治家や官僚の責任にしていた面があります。ですが、その人たちを選んだ私たちにも責任がある。いま大きな変化の時にあり、国民一人一人が真剣に考えていかなければ、また元の木阿弥になってしまうのです。



 

13 音楽から見える国際紛争の解決方法

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.11月号 アフリカ最前線

人類の起源はアフリカです。ですから、そこからいろいろな文化も発生しました。音楽もその一つです。
 音楽というのは、木や手を叩いたりして、音を出したのが始まりといわれています。人間の誕生よりも前に動物たちによって音楽はうまれていた。これがアフリカ音楽の原点なのです。言葉がないころから深い歴史があるのです。
 音楽は、もともと、動物同士のコミュニケーションから始まりました。
 例えば、チンパンジー。「ウホ、ウホ」と声を出しながら、胸を叩き、木の枝を揺さぶって音を出し、仲間にメッセージを伝えます。これをヒントに、人類はメッセージを伝える方法を身につけてきました。
 まず、人間は、音を出してコミュケーションを取っていると気づきました。そこで、木をくりぬき太鼓の音で様々なことを遠くまで伝えました。
 結婚式やお葬式等の冠婚葬祭があると、太鼓の音で隣の村や、その先の村にまで伝えました。その楽器はリッケンベイと呼ばれるもので、その太鼓から様々な他の楽器も派生しました。
 アフリカ大陸で特に音楽が盛んなのは中央アフリカです。ジャングルがあり、チンパンジーやゴリラを真似て生み出した昔ながらの音楽が、そのまま残っています。
その原始的な音楽から、さらに動物の踊りを真似て、各部族独自の踊り(フロック・ローリック)をつくり出しました。例えば、マサイ族の踊りは、キリンを真似てジャンプしながら踊ります。
 その後、奴隷時代が始まり、黒人が奴隷として、ヨーロッパやアメリカに連れて行かれ、音楽も一緒に伝播したのです。その際、彼らは故郷を思う寂しさや悲しさを音楽で紛らわせていました。そして次第に楽器を使うようになり、ジャズ等の音楽が生まれました。
 いまアフリカで人気の音楽は、アフリカン・ポップスです。聴いていると、自然と身体が動く。アフリカでは文字を読めない人が多いので、耳で聞いて身体で覚える。だから、彼らのつくった音楽は、アフリカの言葉がわからない日本人や欧米人でも自然と身体が動いてしまいます。ある意味で天才ですよね。
 また、アフリカの音楽文化があまり諸外国に広まっていないのは、奴隷時代の影響が強いと思います。欧米人にはアフリカの音楽は「奴隷の音楽文化」という意識があるのかもしれません。その点、日本とは奴隷のような負の関係がないので、音楽交流を進めることで、よりよい関係を築けるはずです。アフリカの音楽が日本で流行すれば、その他の面でも両国間の交流が深まっていくと思います。
 また、日本では重大な問題となっている自殺も、アフリカでは、自殺はほとんどない。アフリカの方が生命の危機に直面している人が多いのに。なぜかというと、悲しい時は悲しい、嬉しい時は嬉しいと、音楽等を使ってストレートに表現し、ストレスを発散するからです。そして、明日への活力を補うのです。
 日本人は、なかなか感情を表に出さず溜め込む。それが、自殺が多い原因の一つだと思います。どんな言語のどんな音楽でもいい。自分自身の心に響く音楽を見つけ、上手く気持ちをコントロールすることが、自殺問題を解決する有効な手段の一つになるかもしれません。
 世界中の紛争や外交の問題等は、お互いが自分の意見を主張し合い、平行線を辿り解決できないことがあます。そういう時に、代表者同士で音楽を聞いたり、食事をしたりすることが大切なのです。それにより、お互いに距離が縮まり、許せる心、すなわち「愛」が生まれるのです。問題が解決しないのは、憎しみがあるからです。
 各国間の外交に関しても、そういう配慮が必要だと思います。外交相手とは敵同士の関係ではなく、味方にならなくてはいけない。そのことに、日本は気づいていないのかもしれません。


12 留学生の交流促進が日本の国益につながる

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.10月号 アフリカ最前線

日本では、小・中学校の九年間が義務教育です。アフリカの国々も基礎教育の重要性を認識しており、ほとんどの国に義務教育制度があります。  義務教育といっても、日本とアフリカの間には大きな違いがあります。
例えば、アフリカでは義務教育でも、授業料の滞納や成績が悪いと留年します。また、日本は義務教育の期間、公立の小中学校の場合、授業料や教科書代等は無償。アフリカの場合、ほとんどの国が義務教育でも公的な補助はなく、授業料等全ての経費を個人で賄わなくてはいけないのです。そのため、裸足で通学する子どもや、ノートも教科書も持たず手ぶらで学校に来る子どもも少なくないのです。結果、アフリカでは識字率の世界平均の七五%を超える国は稀で、初等教育の普及が遅れているのです。ここが国の未来の大きな分かれ道となっていると思います。
 大学になると日本とアフリカの違いは別の側面を持っています。日本の大学で教えている先生は、研究の傍ら授業を担当している人がほとんど。「人に教えること」を専門にしている人は少ない。授業のカリキュラムを終わらせることに執心して、学生のための授業が少ないと感じます。
 また、日本の大学には教授会という組織があり、教授同士の派閥や力関係が存在しています。そのため、ある学生が博士号を取得するための論文を作成したとしても、それが通るかどうかは、指導教授の大学内での地位が大きく関わってくるのです。研究の内容ではなく、見えない変なパワーバランスが影響しているのです。
 一方アフリカの大学は、先生と学生全員が「大学は勉強する場」という目線でいます。そのため学生には、勉強や研究に対する高い探究心があり、教える側も、学生に対して平等な立場です。私はアフリカの大学の客員教授もしていますが、アフリカの大学生たちは先生によく質問しに来る。これも、学生のやる気を端的に表していると感じます。アフリカの教育環境は不十分ですが、先生や学生のやる気や勉強に対する高い探究心でカバーしていると思います。
 アフリカ諸国から日本への留学生は二〇〇七年五月現在で、三十九カ国九百八十九人。日本が抱える留学生全体の六・八%にすぎません。世界の四分の一の国が集積しているアフリカとしては、これは非常にアンバランスです。
  原因の一つは、日本で海外留学生をとりまとめているのが外務省だからです。そのため、外交のようにアフリカ諸国の大臣等権力者の子どもや資産家の子どもたちばかりを留学生として招いてしまっているのです。一般の人たちからは選ばれないのです。
 結局、日本に留学した学生たちは、母国に戻っても世襲のような権力構造の中でしか働かない。アフリカのためになっていないのです。
 アフリカ開発会議等で、いくら教育問題を話し合っても、結果が出なければ意味がない。留学生の数を見ても、アフリカ三十九カ国からの留学生数は、インドからの留学生数よりも少ない。この状況が改善されなければ、日本は諸外国から「口だけだ」と思われかねません。日本への留学生たちは、明日のアフリカのリーダーとなる人材です。日本とアフリカの交流を深めるためにも、具体的な政策が必要なのです。
 同じ東アジアでも、アフリカから中国への留学生は〇七年五千九百十五人で、前年度比約五八%増となっています。総数や増加率を見れば中国のアフリカに対する考え方、注目度が伝わってきます。
 サミットやアフリカ開発会議で一時的にアフリカについて話し合われましたが、日本のアフリカに対するスタンスは何が変わったでしょうか。
 早急に対アフリカシンクタンクをつくり、政策を検討、決定し、すぐに行動に移す。首相や内閣が変わっても揺るがない一貫したアフリカ政策が必要なのです。それが、将来的な日本の国益にもつながるのです。


11 対アフリカ支援のためのシンクタンク創設が急務

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.09月号 アフリカ最前線

 今回の洞爺湖サミットで、初めてG8に加えアフリカとアジアの首脳等が会談しました。新しい歴史の一ページを開いた出来事だと思います。この歴史的会談を成功させたのは、福田康夫首相の努力はもちろん、森喜朗元首相が水面下で、各国との調整等を行ってきた賜物です。森元首相のサポートがなければ、実現しなかった会談だったと思います。
 日本はかつて、政府開発援助(ODA)拠出額世界一だったのが、現在は五番目です。今回のサミットで、対アフリカ支援の増額が約束されたことは非常によかった。ただし、これから「どうやって実行していくか」が非常に重要です。
 従来のように巨額の資金を拠出しているにもかかわらず、被支援国の人々が「これは日本の支援だ」ということがわからない「見えない支援」だと日本にとって意味がないのです。相手国に喜ばれて、日本の国益にもなるような支援に変えていかなくてはいけません。
 アフリカ支援が「絵に描いた餅」になるか「大きな実績になるか」は、これからにかかっています。とりもなおさず、この成否がサミット議長国だった日本の国際的な信頼にもつながるのです。
 また、サミットの主要テーマは「環境問題」でした。CO2の削減に関しては、まず先進国が大きな責任を負わなくてはいけない。先進国等と、アフリカ諸国では、排出量が全然違う。同じレベルで削減目標を考えてはいけない。小学生が大学生と同じ授業を受けられないのと同様に、それぞれの国情に合った責任を負うべきなのです。
 ただ、CO2削減の問題は政治上の交渉だけで終わってはいけない。実際に、CO2が減少しなければ意味がないのです。しかし、アフリカ開発会議(TICAD)やサミットを見ても、具体的に何をどうやって削減するのか、という点が見当たらないのです。
 まず、先進国と中国、インド、ロシアといった排出量ランキング上位国が、具体的な行動を起こし、結果を出すことで、他の国々への大きなメッセージを発信しないといけない。先進国が行動し、CO2削減の技術移転をしなければ他の国々はついてこれないのです。
 代表的な環境ビジネスである排出量取引についても危機感を抱いています。排出量取引は、CO2という「目に見えないものを扱うビジネス」。実際に削減に役立つのか疑問があります。紙の上で数字だけが踊っている状況になりかねないのです。
 今年、TICADやサミット等で日本とアフリカの距離が近くなっています。しかし、日本のアフリカ政策は遅れており、中国には大きく水を開けられています。そこで日本とアフリカの関係をさらに深めていくにあたり、一つの提案があります。それはアフリカ社会とのネットワークを持った対アフリカ政策・支援事業の調査分析を行うシンクタンクを創設することです。
 現在、日本からのアフリカ支援の内容には、正直、首を傾げざるを得ないものもあります。例えば、サミットの首脳宣言の中にある、マラリア対策支援のための日本からの一億張りの蚊帳提供が典型。蚊帳はマラリア予防に一定の効果はあるでしょう。しかし、現にマラリアで苦しんでいる現地の人たちが望んでいるのは、不足している治療薬の援助です。このように、アフリカの実態をわかっていない支援が少なくないのです。そうしたミスマッチをなくし、最大の効果を生み出すために、対アフリカ支援のシンクタンクが必要なのです。
 アフリカは日本にとって大きな外交カードになると思います。中国に対アフリカ外交におけるアジアの主導権を握られたら、日本の出る幕はなくなってしまう。
 外交上、日本がアジアとアフリカ以外でプレイ・アップ(大きく扱う)される場面はもうほとんどないと思います。いま、アフリカとの良好な関係を築けるかどうかが、日本外交の大きな分かれ道となるのです。



10 イスラエル・アフリカ・日本の相互関係が各国をより発展させる


リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.08月号 アフリカ最前線

ニシム 今年イスラエルは建国六十周年。日本との国交も2012年に六十周年を迎える。昨年十月に駐日大使に就任したニシム・ベンシトリット大使に話を聞いた

ニシム・ベンシトリット
Nissim Ben Shitrit/1949年モロッコ生まれ。81年ヘブライ大学卒業。69年外務省広報部情報課入省。73年在トルコイスラエル大使館アタッシェ(外務省専門職員)、のちに三等書記官。76年人事課資料担当次長、80年課長を経て、82年在アメリカ・ワシントンD.C.イスラエル大使館一等書記官、のち参事官。86年人事管理部次長、87年部長を経て、93年官房担当次官補、2005年筆頭次官補兼官房長。2007年より駐日イスラエル大使に就任。


六十年来の友好国

ムルアカ 今年イスラエル建国六十周年ですが、イスラエルと日本のこれまでの関係はどのようなものだったのでしょうか。
ニシム 日本とイスラエルは共通点が多い。両国には大変古くて豊かな歴史と文化があり、文化の交流もあります。また、両国とも天然資源がほとんどありません。その代わり人的資源が豊富で、人々がものを発明し、開発することで発展してきました。
 この六十年間の日本とイスラエルの関係は非常に良好です。今年二月にオルメルト首相が来日し、「経済や文化、航空路線の開設、宇宙開発、農業等の分野において、さらに関係を深めていきたい」と、発言しました。日本とイスラエルは、協力し合い発展させられる分野が多く、関係を深めることは両国にとって有意義であると思います。
ムルアカ イスラエル―日本間の直行便を開設するという案がありましたが、どうなっていますか?
ニシム 現在、日本からイスラエルへの航空路はパリ等を経由しなければいけません。直行便ができれば経済、文化の交流が促進され、多くの日本の方に、イスラエルへ来て頂けるでしょう。  ただ、どの空港に開設するかが問題です。成田空港と羽田空港なら採算が取れると試算しています。二〇一〇年に、両空港で新しい滑走路が稼働を開始する予定です。いい機会ですので、どうか日本側も前向きに検討して頂きたいです。
ムルアカ 七月七日から洞爺湖サミットが開かれます。注目している点はありますか。
ニシム 三つのことに注目しています。一つ目は、代替エネルギーの開発です。原油の値上げが続き、世界中に影響を与えています。産業や食料等にも多大な影響を与えており、代替エネルギーの早期開発について、各国が協力していくことは避けられないのです。
 二つ目は、地球の温暖化問題です。この問題にも、代替エネルギーが必要になってきます。代替エネルギーを開発することと、地球温暖化を防ぐことは相互に関連します。例えば将来、石油は残っているが地球そのものがだめになっている、ということもあるわけですから、クリーンエネルギーが必要なのです。
 三つ目は、核兵器の問題です。これは世界全体が向き合わなければいけない問題です。中東でいえば、イランは核開発停止を拒否し態度を硬化しています。イランが開発を進めている射程距離三〇〇〇㎞の長距離弾道ミサイルが完成すれば、もはやイスラエルとイランの二国間対立問題ではなくなります。射程距離内に、ヨーロッパやアジアも含まれるのです。G8はイランの核開発を止めるための協議を早急に行って欲しいと思います。一方、アフリカから、核兵器の原料となるウランがイラン等に流出しているといわれますが、資源に罪はない。使う人間を正しい方向へ導くべきなのです。

得意分野で貢献する

ムルアカ 世界が多極化する中、これまでになかったイスラエル・アフリカ・日本の相互関係を発展させていくべきですね。
ニシム イスラエルや日本には技術があり、アフリカ諸国には資源が豊富です。三国が安定した関係を築くことは、各国にとって有益なことです。ただそのためには、アフリカ各国が、安定した国をつくれる「リーダー」を持つことが条件になると思います。そのリーダーたちと協力して、積極的な援助をし、国民の生活を向上していくことが、望まれます。
 イスラエルと日本は、それぞれの得意分野でアフリカの開発に貢献しするべきです。日本はインフラ整備等の技術の面で、イスラエルは農業、医療分野で貢献できると思います。もちろん、イスラエルと日本が協力して貢献できる分野もあり、これらの活動を通じて、お互いの関係を深めていくこともできると思います。

まず訪れて欲しい

ムルアカ 日本人はイスラエルに対して、紛争やテロ等「怖い国」というイメージがあります

ニシム
 メディアは、悪いことが起こった時だけ報道します。パレスチナとの紛争があればそれだけ報道します。メディアが映すものは、イスラエルの非常に限られた範囲だけです。
 ですが、イスラエルには美しいものがその何倍もあります。例えば、死海やガラリヤ湖、ユダの荒野等です。
 日本の皆さんには「まずイスラエルを訪れて、その目で見てください」といいたい。そうすれば、イスラエルは楽しくて、興味深くて、安全な国だと、必ず理解して頂けると思います。




9 日本に期待する「見える支援」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.07月号 アフリカ最前線

 アフリカの抱える大きな問題に環境問題があります。しかも、地域によって大小様々な環境問題が存在します。  中でも大きな問題が三つあります。
 一つは、森林伐採により砂漠化が進んでいることです。アフリカの各国が独立を始めたのが一九六〇年代。アフリカは、独立国が誕生してからまだ半世紀ほどしか経っていない新しい地域で、残念ながらまだ後進国です。そこに突け込んだ欧米企業が、現在でも植民地時代さながらに、森林を乱伐し、環境破壊の大きな要因となっているのです。
 コンゴやカメルーン周辺のジャングル地帯は特に深刻です。そこには黒檀(こくたん)が多くあります。黒檀は丈夫で腐らず、何世紀も保つので非常に高価な木材です。これを植民地時代から欧米各国が乱伐し、売買しています。しかし、彼らは伐採後、植林をしないのでジャングルが減少し続けており、国際機関でも度々問題になっています。大人の平均身長が一二八㎝のピグミー族等、豊かなジャングルで生活している少数民族も危機的な影響を受けています。
 二つ目は病気の問題。エボラ出血熱等、ウイルスが原因で、感染者の大半が死亡する、危険性が極めて高いレベル4(注1)の感染症が多いことです。社会が進歩するとともに環境が悪化すると、ウイルスも変異します。そして、熱帯地域のジャングルでウイルスが一番発達しやすいため、アフリカには重大な感染症が多いのです。
 現在、マラリアやエボラ出血熱等の感染源はアフリカが想定されていますが、環境が変化すると、いつどこで発生するかわからない。ウイルスに国境はなく、環境が生むものなのです。マラリアやエボラ出血熱はアジアでも発生しています。
 東京等の大都市の市民は、エボラ出血熱等の重大な感染症について、ほとんど知識がないのが現状です。万が一、大都市で重大な感染症が発生した場合に、迅速な対応が必要になります。そのためには、世界中の学者や有識者たちが、いま以上に交流を深めなければならないのです。
 日本は、一部の国としかつき合わないのではなく、アフリカを始め全世界と密接なネットワークを築くことが、日本の安全を守る重要な一因であると思います。
 三つ目はゴミ問題。アフリカの大都市で問題になっています。田舎では魚等を買うとそのまま持って帰りますが、都市では二重三重の包装をします。それがゴミになる。しかし、ゴミの回収システムが整っていないので街中にゴミが溢れています。自動車等も処理する場所がなく、様々なゴミが山積みにされています。
 こういったアフリカの諸問題に対し、日本は国際機関を通じて支援をしています。ですがこれは、日本の貢献が「見えない支援」となってしまっています。日本が国際機関へ何十億円の支援金を拠出しても、支援地域に渡るのはその三割程度です。あとは、人件費や諸経費等で消えてしまいます。これからは、日本が直接行動する「見える支援」をして欲しいと思います。
 アフリカ大陸は五十三カ国で構成され、世界の四分の一の国が集積しています。つまり、アフリカを抜きにして、世界の環境問題は解決しないということです。
 洞爺湖サミットでは、環境問題が大きな議題となりそうですが、サミットでどれだけ環境問題を話したとしても、アフリカが参加しなければ不十分なのです。
 先進国の政治家の多くは、税金等お金を生むことには執着するのですが、環境問題、食料問題等、お金を生まないことには本気で取り組んでいません。国際機関等でパフォーマンスはしますが、具体的な行動となると、本当にやろうとする気持ちが見えない。結局、現在困っている人々が泣きを見るのです。

(注1)病原体の危険性に応じた4段階のレベル分類。レベル4は、個体または地域社会に対する高い危険性を持つ病原体。世界保健機関の基準を基に各国内で制定。




8 「TICAD」をきっかけに、新たな協力関係の構築とその継続を望みます


リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.06月号 アフリカ最前線

ムタンゴ
エリー・エリクンダ・エリネーマ・ムタンゴ
E.E.E.Mtango/1945年タンザニア連合共和国生まれ。東アフリカ大学卒業。ロンドン大学等で科学博士号を取得。タンザニアの外務海外協力省に32年間勤務し、アフリカの多くの国の大使等を務めた。国際連合の大使や常任代表、外務国際協力省の常任次官等を経て2000年より現職。ほかに、韓国、オーストラリア等におけるタンザニア大使を兼任している。著書に「難民への国際援助:導入講演」(人権オランダ校とオランダ難民協議会の合同出版)等多数ある。

ムルアカ まず、アフリカ開発会議(TICAD)とはどういうものですか。
ムタンゴ TICADは一九九三年に始まりました。その時期は東西の冷戦が終結して、国際的にアフリカへの関心が薄れていた時でしたが、日本はあえてTICADを開催し貧困や疾病等のアフリカの問題に世界の目を向けようとしました。
 五年前に開催したTICAD Ⅲには、アフリカ各国から約二十四人の大統領・首相が参加しましたが、今回のTICAD Ⅳには四十縲恷l十五人ほどの首脳が参加する予定です。その他、世界銀行や国連開発計画(UNDP)等の国際機関。またドナー国と呼ばれるアフリカを支援しているヨーロッパの国々が参加する予定です。アジアからはインド、マレーシア、インドネシア、タイ等が招待されています。
ムルアカ 今回テーマは?
ムタンゴ 重要なテーマは四つあります。まず、アフリカ経済成長を高めることです。二つ目は、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDG)の達成です。例としては五歳以下の小児や妊婦の死亡率の減少、貧困の削減、さらに先進国とアフリカ開発途上国との協力を拡大すること等が挙げられます。三番目は地球温暖化の問題です。気候の変動がアフリカにも様々な悪影響を与えています。アフリカはその経済力の低さから気候変動等の影響による被害を受けやすいのです。四つ目は、アフリカに安定と繁栄を構築することです。部族間の紛争が終結したばかりの国に対して、再び紛争に戻らないよう、支援をしていく必要があります。これらがTICAD Ⅳでの主なテーマです。
ムルアカ 今回、TICADに対する注目度はどうでしょうか。
ムタンゴ TICADⅣについては、メディアでも多く紹介されていますし、これまで以上に注目されていると感じています。特に、横浜市はTICADⅣを非常に積極的に紹介しており、各国大使館が横浜市内の小学校を訪問して、それぞれの国の説明をする「一校一国運動」というような活動を展開しています。しかし、TICADはもっと注目されるべきだと思います。 学術的なアプローチを
ムルアカ 2007年度、各在外日本大使館からの推薦により日本政府が国費留学させた学生はアフリカ53ヵ国をあわせても全体の六・八%にすぎません。私は、TICADⅣが開催されるこの機会に、大学は学術的な部分でアフリカと交流できると思っているのですが。
ムタンゴ 学術的な交流はとても重要なことですし、日本に来る学生の数を増やしていく必要があると思います。日本には数多くの大学がありますが、アフリカと学術面での国際交流をしている大学は、ごく一部です。日本は非常にレベルが高い科学や技術をん持っており、会社を退職された方々等たくさんの方が経験に基づいた豊富な知識を持っていらっしゃいます。アフリカの学生はその知識を共有する準備ができています。しかし、彼らにはその知識を共有する場所がないのです。
 すでに、マレーシアやベトナムは多くの学生を日本に送っています。日本で学習して知識を得た学生が日本から本国に帰り、本国でその知識を生かして活躍しています。日本の協力による留学生制度は、その国に大きな利益をもたらします。このような留学生制度はアフリカの国々に対しても行っていくべきです。
 アフリカには、現代の治療薬では治すことの出来ない病気に対する伝統的な治療方や治療薬があります。しかし、その研究や分析は、十分なされていません。こういったものに対して、十分な研究ご行われれば、日本にも、多くの利益がもたらされると思います。

  協力体制の模索
ムルアカ 経済界や日本政府、また、すべての省庁が協力すれば、立法府の中にシンクタンクをつくれるのではないかと思っているのですが。
ムタンゴ 非常によい考えだと思います。外務省だけではなく、その他の省庁にも働きかけていく必要があります。ODAに関しては財務省、日本とアフリカの民間セクターに関しては、経済産業省等、各省の協力が必要です。アフリカには恵まれた天然資源やオーガニック製品等、限りない可能性があり、すべてのセクターにおいて利益となる可能性のある場所です。
 チャリティー等で援助をしているだけでは、本当の協力は成り立っていきません。日本とアフリカは、お互いに利益を得られるような協力体制を整えていく必要があると思います。




7 国際会議「TICAD」への懸念

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.05月号 アフリカ最前線

 第四回アフリカ開発会議(Tokyo International Conference on African Development : TICAD4)が、五月二十八日~三十日に神奈川県横浜市で開催されます。
 このTICADは、一九九三年に第一回が開催され、その後、五年に一度のペースで行われている大規模な国際会議です。TICADでは、アフリカの各国首脳はじめ世界中の国際機関の代表等が日本に集い、アフリカの開発をテーマに話し合われています。
 しかし、そのような表の側面のほかに、TICADには裏の側面というものがあります。
 裏の側面としてあまり知られていないのが、まず、TICADができた経緯です。そもそも、TICADの発端となったアイデアは、私が提案しました。
 約二十年ぐらい前、私が日本の国会でお手伝いをさせていただいていた時、日本では、政府の中にもアフリカの情報がほとんどありませんでした。そこで、鈴木宗男先生(現新党大地代表)と私で二十八の議員連盟をつくり、議員さんたちと交流を重ねました。国会議員の方々にアフリカを知ってもらおうと活動する中で、実際に何らかの形で実行に移った議連は、二十ほどありました。議連での活動は大成功だったといっていいと思います。少しずつですが、日本国内及び政府の中に、アフリカのイメージができつつありました。
 当時、日本政府の中では、アフリカ各国の参加とともに、他の地域の協力も求めなくてはならないということが話し合われていました。ちょうどその時、一九九〇年十二月に鈴木先生が外務政務次官に就任しました。いまでいう外務副大臣です。
 鈴木先生が外務政務次官に就任してからは、それまでのアイデアを具体的な形にしようということで、外務省が国連や様々な国際機関を通じて交渉を重ねるようになりました。さらに、鈴木先生の行動力がともなって九一年、アフリカの発展に向けた会議のための準備をしましょうということになりました。これがTICADのスタートです。
 九三年には第一回目のTICADが開催され、大成功を収めました。アフリカだけでなく、アジアの国々等から支持を得ることができ、TICADにとって本当に大きな第一歩となったのです。
 その後、第二回目のために準備の会議を重ね、第二回目のTICADは九八年十月に開催されました。しかし、それまでと同じように話し合いが行われているだけでは、アフリカの発展が「絵に描いた餅」になりかねません。今度は、きちんと道筋を考えながら、もう少し具体的な実行に移しましょうということになりました。
 そこまでTICADが前進したところで、第三回目のための準備会議が始まりました。しかし第三回目のTICADが開催される前に、鈴木先生の一連の問題が発生したのです。鈴木先生と私は第三回目以降のTICADからは完全に身を引かざるを得なくなってしまいました。
 今年五月には、第四回目のTICADが開催されます。しかし第三回目から現在までの五年間、実際には外務省の事務局の実行力は全く発揮されていませんでした。アフリカ貧困問題やエイズ、マラリア、環境問題等について、何度も同じことが話し合われているだけで、そこから何一つ進んでいないのです。本来は、日本の提案で始めたTICADという大きな外交戦略を無駄にしないためにも、具体的な問題解決に向けて細かくチームをつくり、次の会議までに必ず目標を達成させるという、行動力が必要なのです。「TICADが開催されるようになっても、アフリカは何も変わらない……」
 アフリカの人々は、いまも私に訴えてきます。アフリカ人がTICADの成果を感じていないということは、きちんと機能していない証拠です。TICADは日本の国益にも深く関係することでもあるので、もっと具体的に、目に見える形で実行されるべきです。今現在、唯一全身全霊で活動しているのは森元総理だけです。
 裏に隠れてしまってほとんど知られていませんが、TICADの中身については、解決し なくてはならない多くの問題があるのです。




6 日本に求められる「国際貢献政策」のあり方

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.04月号 アフリカ最前線

 一九六〇年代、アフリカでは多くの国が旧宗主国から独立しました。その一つ、ザイール(現・コンゴ民主共和国)には、日本鉱業(現・新日鉱ホールディングス)が進出しました。同社は巨額の資金を投資し、ザイールの国営企業と提携して鉱山開発を手掛けていました。当時、ザイールには一千人弱の日本人が居住、現地で生まれた日本人もたくさんいました。
 しかし、八三年、同社はザイールからの撤退を余儀なくされました。撤退にはザイール国内の政治・経済・為替変動等、様々な要因が絡んでいましたが、最大の原因は同社への「いわれなき不信」でした。産出した鉱石は銅だけではなくコバルト等の希少金属を含んでいました。しかし、ベルギーの企業がそれを盗んでいたにもかかわらず、日本人のせいにしてザイール政府に訴えたのです。当然、日本はザイール政府からの信用を失いました。交渉の場で強く自己主張できない日本人は、疑惑を晴らすことがないまま、撤退するしかありませんでした。

 日本-アフリカの関係は歴史的に深いものがあります。日本によるアフリカ支援ばかりいわれますが、逆に、戦後、日本の経済成長を支えたのがアフリカ産出の資源であることは、ほとんど知られていません。当時はアフリカへ渡航する際、必ずヨーロッパを経由する仕組みとなっていました。その後、日本はヨーロッパを通じてアフリカと交渉をするようになり、そうした日本とアフリカの関係は、知られずに封印されてしまいました。  いま、日本は、アメリカに次いで世界第二位の国連分担金負担国です。現在の日本の分担率は一六・六二四%(二〇〇七〜〇九年同率)で毎年三億ドル(約二百八十億円)以上、国連に納付しています。もっとも、国際社会では日本は巨額な分担金に見合う対価を得ておらず、安全保障理事会の常任理事国にもなっていません。アメリカは分担率が最も高いということになっていますが、滞納の“常習犯”です。
 的場順三(後に安倍内閣官房副長官)さんと私とで海外視察に出かけた折、現地で驚かされたことがあります。日本の支援物資に「日本からの提供」であることが何も記されていなかったからです。これでは、税金を使ったせっかくの国際貢献も意味がありません。さっそく報告し、その後、支援物資の全てに「日の丸」が付けられました。
 いま、日本は国際社会で「マグロを乱獲している」と批判されていますが、日本の日頃の国際貢献があまり認識されていないことが間接的に響いているのかもしれません。

 「二十一世紀はアフリカの時代」だと言われており、中国はアフリカに対して、積極的な外交を展開しています。アフリカの保有する豊富な資源の獲得が狙いであるのはいうまでもありません。この点で日本は遅れをとっています。このままだと十年後には、日本の出る幕はなくなってしまう可能性があります。日本も早急に、ロビイストを間に入れる等、本格的にアフリカと直接交渉を始める必要があります。
福田政権は、年金問題や内閣支持率の低下、対アメリカ政策等の対応に追われていますが、いまこそ十年、二十年先をにらんだ対アフリカ外交のプランを練り、すぐにでも実行すべきです。
 たとえば、いま、アフリカが一番必要としているのは、「技術力」です。アフリカは自分たちの手で鉱工業製品を生産して自立する必要があるからです。資源が豊富なアフリカと、技術力がある日本が協力すれば、お互いの国に多大な利益をもたらします。
 アフリカにビスケット等で多額の食糧支援することも大切ですが、技術提供等でアフリカの将来に役立つ支援を実施することも重要です。国際社会でそれをきちんとアピールすれば、様々な国際的な交渉において、必ずやその成果が現れると思います。



5 多くの言語、音楽が共存する「アフリカ文化」

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.03月号 アフリカ最前線

 アフリカ大陸の中央で赤道直下に位置する「コンゴ民主共和国」と「コンゴ共和国」は、もともと同じ国でした。アフリカにヨーロッパ人が来航する前は「コンゴ王国」として非常に繁栄していたのです。しかし、ヨーロッパ人の植民地支配により、コンゴ王国は消滅してしまいました。ベルギー領は「コンゴ・キンサシャ」(現コンゴ民主共和国)、フランス領は「コンゴ・ブラザビル」(現コンゴ共和国)と、強制的に分割させられてしまいました。
    コンゴ民主共和国は中央アフリカの中では最も面積が広く、日本の約六・三倍の大きさがあります。さらに、コンゴ共和国を含めて九カ国もの国と陸で国境を接しています。それらの国は、昔、ほぼ同じような民族、言語、文化で繋がっていました。
   しかし、1884年11月15日から85年2月26日、アフリカにやって来たヨーロッパ人は言語や部族等の違いには全く配慮せずに、国境を勝手に決めてしまいました。アフリカの地図を見ると、国境が直線になっているところがありますが、それは、ヨーロッパ人がアフリカを支配するために人工的に引かれたからです。そのため、同じ言語を話す同じ部族同士が、突然、違う国の国民となってしまったのです。  現在、中央アフリカには多くの言語があります。フランス語が公用語となっているコンゴ民主共和国でも、古くからある言葉としてキコンゴ語、リンガラ語等が使われています。キコンゴ語とリンガラ語もとは同じ源流の言葉です。いまでは、キコンゴ語は、いわゆる田舎の言葉として、また、リンガラ語は中央アフリカの中心的な言葉として話されています。リンガラ語はコンゴ民主共和国の首都キンサシャを中心に、音楽文化やラジオの普及によって広がり、中央アフリカでは最も多くの人が理解する言語となりました。
   アフリカの大多数の人々は、フランス語や英語のほかに、いくつかの部族の言葉を話します。ですから、テレビ放送等は、とても複雑になっています。例えば、戦争終結時等には、きちんと国民に知らせなくてはなりません。しかし、多くの言葉が存在する国では、一つの言語で報道しても、その言葉を理解しない人がたくさんいます。そのため、私が勤めていたコンゴ民主共和国の国営放送では、毎日五回、その度にフランス語のニュース、それが終わるとすぐにリンガラ語のニュース、次にキコンゴ語、チルバ語、スワヒリ語と、同じ内容で放送します。
   このように、テレビやラジオでは、毎日いくつもの言語で繰り返し放送するので、国民は自然に多くの言語を理解するようになるのです。
   アフリカには言語のほかにも、たくさんの豊かな文化が存在します。例えば、音楽は日常生活に深く関わるアフリカ独自のものとなっています。アフリカでは葬儀でもみんなで歌を歌います。音楽は学校で勉強しなくても、人の悲しみや喜び等を表現する手段として、誰もが自然に身に付けています。ですから現在、ヨーロッパ等でも活躍しているミュージシャン、例えばコフィ・オロミデのように、アフリカ人からは表現力豊かで天才的なミュージシャンが誕生するのです。
   アフリカは、昔からの豊かな言語や文化が存在するにもかかわらず、現在では悪い印象を持たれています。まず貧困、内戦、病気等、怖い国とイメージが強いくあるのではないでしょうか。しかし、実際は違います。これらの悪いイメージはほとんど、アフリカをコントロールしている国によって仕組まれたプロパガンダです。アフリカの資源や経済を独占してコントロールするために、悪いイメージを植え付けて、ほかの国を近づかせないようにしているのです。
   アフリカの本当の姿は、一般的なニュース報道からは決して見えてきません。アフリカを理解してもらうために、言語や音楽等、アフリカの豊かな文化に触れてもらうことも大切だと考えています。



4 「ケニア」「タンザニア」「モザンビーク」の発展に貢献した日本の援助


リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.02月号 アフリカ最前線

 日本とアフリカは経済的にはとても深い繋がりがあります。アフリカの地下資源は、マーケットを通じて日本にも多く輸出されています。しかし、アフリカとの外交努力を怠った日本は、現在、アフリカの地下資源を輸入しようとしても、これまでのルートを維持することが難しくなってきました。
 一方で中国は、直接アフリカにアプローチして、影響力を強めています。いまでは、アフリカとの交渉においては、中国がアジアの中でもトップクラスの地位を築いています。
 しかし日本は約二十前、中国よりもずっと早くから、アフリカへのアプローチを行っていました。当時、その先頭に立ってアフリカ政策を進めていたのが鈴木宗男先生(現新党大地代表)です。私も鈴木先生の側近としてアドバイスをしたり、アフリカに行って直接要人と会う等していました。
 まずケニア共和国で民主的な政治が行われるように、選挙の指導をしました。そして、鈴木先生はケニア国民に「あなたの一票で国が変わりますよ」というメッセージを送りました。大統領選挙には多くの国民が投票所に訪れて、選挙は三〜四日間も続いたのです。その時、国民の投票によって再選を果たしたのがアラップ・モイ大統領です。
 ケニアという国は、アフリカの他の国と比べると地下資源がほとんどありません。しかし「観光」という潜在的な資源があります。そこで、まず、メディアがケニアで取材しやすいようなシステムを整えました。将来のケニアの観光発展のために、取材許可を出しやすくしたのです。
 メディアがケニアの文化や広大な自然等を紹介するようになってからは、日本からの観光客も増加しました。観光業の収入は、地下資源による収入と比べたら微々たるものかもしれません。しかし、鈴木先生は「塵も積もれば山となる」ということをケニアの人々に教えて、ケニアの経済発展のために貢献したのです。
 また、鈴木先生は自ら約一千万円を出して、タンザニア連合共和国にマサイ族の学校をつくりました。マサイの人々はそれまで見たこともないコンクリートでできた白い学校を喜び、村挙げてのお祭り騒ぎとなりました。いまでもタンザニアの人々は鈴木先生を尊敬し、日本が援助してくれたことを忘れていません。
 日本のアフリカでの援助はケニア等でスタートしましたが、モザンビーク共和国の発展のためにも、やはり選挙において協力しました。モザンビークで初めて直接選挙が行われた一九九四年のことです。
 当時のモザンビークは内戦が終結した直後で、国内の状況は混乱していました。その様な中での大統領選はフレリモ(現与党)と反政府ゲリラのレナモ(現野党)の接戦となりました。選挙の結果、フレリモのシサノ大統領が勝利して新政権を立ち上げましたが、それだけではモザンビーク国内を安定させることはできません。鈴木先生と私はシサノ大統領に、選挙で負けたレナモのジャカマ氏(後に議長)に国の要人としての名誉を与えるようにと助言しました。ジャカマ氏は再度山に戻って武器を集め、武装闘争に発展させる恐れがあるからです。結果、地位と名誉を与えられたジャカマ氏は、シサノ大統領のもとで国のために大変な貢献をしました。
 モザンビークは九四年のシサノ新政権成立以降、フレリモとレナモで安定した二大政党が続き、経済的にも豊かになりました。モザンビークの二〇〇六年のGDP成長率は八・五%にもなっています。
 このように、日本はアフリカの発展に大きく貢献してきました。しかし、一連の事件で鈴木先生が逮捕されたと同時にアフリカへの協力も途切れてしまいました。現在では、日本政府にアフリカとの外交の中身を理解している人はほとんどいません。アフリカへの貢献は、日本にとっても地下資源輸入における恩恵が期待できます。日本の外交政策が滞ってしまっているいま、改めて見直すべきだと思います。



3 終わりのないルワンダ民族大虐殺の闇

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2008年.01月号掲載 アフリカ最前線

 アフリカのルワンダ紛争については、世界中で知られています。日本の方はルワンダ(Rwanda)とアンゴラの首都ルアンダ(Luanda)を混同しやすいと思いますが、ここでいっている紛争国はルワンダ共和国(Rwanda)のことです。
 一九九四年、ルワンダでは約二百万人の難民が虐殺されたと大きく報道されています。しかし、ここで注意しなくてはならないのは、これはルワンダだけではなくて、その隣のブルンジ共和国でも同じようなことが起きたということです。また、このgenocide(民族大虐殺)については、ほとんど情報操作によって内容がすり替えられています。
 ルワンダ紛争の最初の原因となったのは、五九年にルワンダの一部の部族が隣のウガンダ共和国に難民の状態で逃げたことです。そして、ウガンダでは残虐非道で知られ、国際的な避難の的となったアミン政権時代に、ルワンダに戻ろうとするクーデターが起きました。その後も内部対立やクーデターが繰り返され、八六年、クーデターを起こしたムセベニ現ウガンダ大統領が誕生したのです。
 このムセベニ大統領の祖先はルワンダです。ムセベニ大統領はルワンダからウガンダに逃げて来た部族の子孫と考えられていますから、その部族をもといたルワンダに戻そうとしました。しかし、当時のハビャリマナ・ルワンダ大統領は、難民をルワンダに戻されては困ると考えていました。そこで衝突が起きたのです。
 ここで重要になってくるのが、モブツ・コンゴ民主共和国元大統領です。当時、モブツ大統領は中央アフリカで多大な影響力を持っていました。ムセベニ大統領もハビャリマナ大統領もモブツと親しく、モブツの力で大統領になりました。そして、実質的にモブツ大統領がルワンダもウガンダもコントロールしていました。
 そのモブツ大統領はコンゴで三十二年間という長期政権を築いた人物ですが、彼はずっと先進国から狙われていました・・・。しかし、モブツ大統領の強力なブラックマジックによって暗殺計画は全て失敗しました。しかし、何とかモブツ大統領を暗殺しようと、まず、モブツ大統領とブラックマジックで繋がっているルワンダのハビャリマナが暗殺されました。そして、ハビャリマナが殺された瞬間に、昔ウガンダに逃げた人々がゲリラとなってルワンダに戻り、民族の大虐殺が行われたわけです。
 その時、ルワンダの一般国民は何が起きているのか全く知りませんでした。突然、大統領が殺されたかと思うと、ウガンダから一斉にゲリラが入って来て虐殺が始まったため、ルワンダ国民は訳がわからないまま隣のコンゴに逃げるしかなかったのです。これが約二百万といわれる難民となったのです。
 そして、コンゴに逃げる難民の中に、現在のコンゴのカビラ大統領の父親であるカビラ(コンゴ前大統領)が、武器を持ったゲリラとして加わりました。カビラは大統領の座を約束されて雇われたのです。雇ったのは誰かというと、モブツ大統領を暗殺してアフリカをコントロールしようとするXという国でした。
 ですから、ルワンダ紛争といっても、部族間の問題ではないのです。紛争でもありません。これは、全て、アフリカの地下資源を奪うために先進国がつくったシナリオです。
 現在もルワンダ周辺国の混乱は続いており、紛争終結の気配は全くありません。それは、少数派であるツチ族が、地下資源がほとんどないルワンダで政権を持ち、多数派のフツ族が豊富な地下資源のある周辺国にいるということが大きな原因となっています。紛争がない状態では、ルワンダにいるツチ族は、混乱の中で隣の国の地下資源を盗むことができません。さらに、先進国にとってもアフリカの国が混乱しているほうが、コントロールするためには都合がよいのです。
 しかし、紛争を終わらせることは本当は簡単です。事実をしっかり確認し合って二度と同じことを繰り返さないように、各々が自分の国に戻り、本当に独立した民主主義国家をつくればいいだけのことですから。けれども、武器の販売等、様々な利益のため簡単に紛争を終わらせたくない様々な組織があり、その事実が完全に隠蔽され悪循環を生んでいる……それが現在のアフリカの実態です。



2 先進国によって仕組まれた紛争のシナリオ

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2007年.12月号掲載 アフリカ最前線

 日本のマスコミのアフリカ報道には誤解や間違いが多く、きちんと調べられていないなと感じます。現在、問題になっている紛争についても、報道の前にアフリカの歴史や紛争が起きた背景や原因などをしっかり理解してほしいと思います。
 アフリカは人類発祥の地であり、古い歴史があります。しかしそのアフリカ大陸が発見されたのは、十四世紀といわれています。
 当時、アフリカにやって来た白人は、アフリカ人は力が強く、大陸には豊富な資源があることを知りました。そして「純粋なアフリカ人を利用して資源を収奪してしまおう」というのが、植民地支配の始まりです。
 例えば、アフリカ中部では、ダイヤモンドなどの地下資源の産出量が豊富なコンゴ民主共和国を、当時のベルギー王国のレオポルド二世(1835-1909)は自分の植民地としました。そして隣のルワンダをベルギーのフラマン族と、ワロン族に与えたのです。ブルンジも同様に彼らに与えました。しかし、当時のベルギー王国のなかでは、フラマン族とワロン族は言葉も住む地域も異なり、非常に仲が悪かったのです。ですから、現在も続いているこの地域の「フツ族」と「ツチ族」の争いの原因は容易に想像できることでしょう。こうして、植民地の支配者たちは自分たちに従う一部のアフリカ人を使って利権争いを始めたのです。ですから現在の「民族対立」の根源は、そうした海外から来た支配者たちによる分断策といえます。
 他のアフリカ諸国の植民地支配の経緯も、今まで述べたアフリカ中部と似ているところもあります。南アフリカのアパルトヘイトは支配者(白人)が厳しい差別政策でアフリカ人を従わせたものです。そのやり方は、かなり残酷もので、植民地時代は白人がアフリカ人を殺しても罪になりませんでした。アフリカ人は「singe(フランス語で「猿」という意味)」と呼ばれ、人間扱いされていなかったのです。
 植民地支配の下、アフリカ人たちは支配者たちの利権争いのために、殺し合いをさせられていました。それも今日の紛争に繋がっているのです。
 現在のアフリカ諸国は植民地支配から解放され、独立国となっています。しかし実際は、ほとんどのアフリカの国の利権はEUやアメリカ等の先進国に握られたままです。独立は見せかけのようなものです。先進国の国々は様々な形で、アフリカをコントロールしているのです。
 その一つに、アフリカ諸国は自立に向けた経済発展が事実上、阻止されています。アフリカの豊かな資源を支配下に置くのが最大の目的です。ものの値段は、全て先進国によって決められており、その意味で、アフリカには「自由経済」は存在していないと言っても過言ではありません。  また、経済的な力を付けさせないために、教育もコントロールされ、アフリカ人には理系の勉強をさせないようなシステムをつくりました。教育機関でアフリカ人技術者を多数養育すると工業化が進み、先進国に頼らず、自らの手でその資源を製品化できるからです。
 先進国はアフリカ諸国の政権をもコントロールしています。軍事独裁国家を樹立させるために、ゲリラ等をサポートして、武器を与えるのです。地位や名誉、巨万の富を与えられたアフリカのリーダーたちは、先進国の「操り人形」になります。もっとも、そのリーダーたちが力をつけて先進国に背くようになると暗殺され、別の「操り人形」が大統領に就任するのです。アフリカでは実際、二〇〇五年までに八十二人程のリーダーが暗殺されたり、退任に追い込まれたりしました。
 暗殺や紛争で使用される武器は全てアフリカの外から持ち込まれています。そして、その犠牲になっているのが何百万人もの市民です。国連等の国際機関はアフリカに平和をもたらそうと活動していますが、根本的な解決にはなっていません。
 このようにアフリカの紛争は、様々な先進国による長年の複雑な策略によって仕組まれたものですから、解決までには相当な時間がかかります。各地の紛争が終結し、アフリカが平和になる日は、まだまだ遠い話ではないかと思います



1 必要な情報を伝えない日本のメディア

リベラルタイム出版社「リベラルタイム」2007.11月号掲載 アフリカ最前線

私が生まれたコンゴ民主共和国は、資源が豊富な国です。なのに、コンゴ国民の生活はなぜ苦しいのか。子どもの頃、同級生が次々と死んでいくのに何もできなくて、悔しい思いをしていました。
  大学を卒業した後、私はテレビ局で仕事をしていました。世界の情報を集めてニュースをつくっていましたが、日本という国は調べれば調べるほどよくわからない。日本は特に、第二次世界大戦直後はとても貧しい国でしたが、いつの間にか裕福な国になっているのです。資源が乏しい国なのに、どうしてここまで発展できたのか、と疑問を持つようになりました。
  そこで私は、それまでのアフリカでの仕事等すべてを捨てて来日しました。
日本で勉強して色々なことを学べば、アフリカの恵まれない子どもたちをたすけられるかもしれないという思いがあったのです。  日本での生活は苦労の連続でした。自分に合うサイズの服や靴がなかなかなくて、あったとしても普通の倍の値段です。最初はアルバイトで生活していましたから、とても大変でした。さらに、子どもの頃からやっていた空手の道場や日本語学校に通いながら、大学にいくための学費を貯めなくてはならない・・・・。
  そんな中、多くの方々に助けていただきました。日本語のレッスンの相手をしてくれた交番の警察官や、日本語学校の校長先生、大学の教授等には大変お世話になりました。私が何とか苦労を乗り切れたのも、まじめで親切な方が周りに多くいたからだと思っています。
  私が来日した約20年前の日本は、まだ「グローバル化した国」という印象はありませんでした。しかし、私は20年前の日本のほうがよかったように思います。いまでこそ多くに日本人が海外旅行をしていますが、海外を知る前の日本人は礼儀正しく、非常にまじめで、当時、外国人の私から見ても憧れの存在でした。いまは逆に、日本人の伝統的価値観が損なわれつつあるように思います。
  それには、メディアの影響も大きく関係していると思います。日本は様々なメディアが発達していて情報が溢れています。しかし、いまの日本のメディアは、9月4日にアフリカで起きたブルンギ難民の死者が出たニュースをまったく伝えず、横綱朝青龍を追いかけてばかりいます。朝青龍とアフリカの一万人の難民と、どちらの情報を伝えるのが正しいのか。
  残念ながら、今の日本のメディアは本当に必要な情報を伝えないことが多々あります。
  たとえば、外交を預かっている外務省や放送行政を所轄している総務省、さらに公共放送であるNHKが、国の差別なく世界の情報を正しく国民に伝えないといけません。北朝鮮のことも大事ですが、アフリカには53ヵ国もの国があるのです。アフリカの情報が日本ではまったく伝えられていないというのは、残念でなりません。
  あまり知られてはいませんが、実際、日本とアフリカは、貿易では大変深い関係にあります。アフリカの豊富な資源は、日本の産業に大きく貢献してきました。しかし、今年の1月、リベリアでアフリカ初の女性大統領が誕生した時、就任式には日本からは政務次官が出席しただけだした。アメリカでさえブッシュ米大統領夫人が行くような、国際的にも大変重要な場だったのです。日本からも、もっと重要なポストの人物を送るべきだした。これでは日本は、外のことには興味がないようにしか思えません。アフリカでもそのように受け止められます。
  日本は戦争によって貧しい生活を強いられ、多くの子どもたちが犠牲になった経験があります。だからこそ、いま現在も多くの死者が出ているアフリカのような国に対して、積極的に支援していくべきなのです。そのためには、正しく情報を伝え、多くの人にアフリカを知ってもらいたい。そして、昔のように世界中から尊敬されるような国になって欲しいと思います。

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